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屍人は遺体を拾い集める

死にたくない、なんて零したせいで俺はこのざまだ。
病院のリノリウム床よりもずっと冷たい金属のハコの中、俺はこの日何度目かの身じろぎを試み、微塵もきしむことも無いハコの頑丈さに辟易した。俺はこのハコに隙間なくピタリとはめ込まれ、趣味の悪いクライアントの玩具として携帯されているのだ。

ハコの外側に象嵌された『眼』が、俺の神経に外の事情を送り込んで来るけどれも、こいつが気晴らしになった事は一度たりとしてない。いっそ暗闇の方がよっぽど慈悲深い。

今日の鉄火場は、古めかしいレンガアパートの中二階、居抜きのテナント。
乱雑に転がった命だった物体に、俺はこの扱いになってもう何度目かも思い出せない不快感をもよおす。肉と、血が大皿の上のフレッシュサラダみたいに散りばめられた部屋の中央に……当の俺の雇い主が立っていた。

少年のようなシルエットを喪服めいた黒ゴスで包み、垂らしおさげを両側でみつあみにしたその少女は、見た目だけなら盛った猿を引きつけるのに十分な造形だ。俺の感想なら、死んだ今でもこいつの相手は御免被りたいけどな。

俺の主人は窓辺からさしこむ月光の中、血沼にしゃがみこんで、ブループラチナの瞳でバラバラに千切られた肉の表面を舐め回す。

「今日の成果はB級といったところだ。現代では少々見つからない死因だから足を運んだかいがあったというもの」

死体を愛でていた主人リチエ・R・シグモンドの、ガラス玉より安っぽい瞳が俺の、正確にはハコの眼を見おろす。

「誰も居ないんだ、話し相手になってくれてもいいんじゃないかい?」
「……ハッ、そんな事俺らの契約に入れてねぇだろ」
「追加条項入れればやってくれるとでも?」
「イヤだね。オメーの相手なんて首なしがぴったりだ」

俺がつっけんどんに返すとリチエはあっさり引き下がって死体漁りに戻ろうとしたが、戻れなかった。文字通り降って湧いた人影が、あのアホの頭部をひっつかんで血まみれの床に叩きつけたのだ。

「ガッ……!」

降って湧いた灰のスーツ野郎は、流れるようにリチエの左スネを踏み砕いた。言わんこっちゃねえ。こんなミエミエの餌に突っかかるなって俺は言ったんだぜ。ちゃんとな。

「ヨミ……!仕事だよ!」

厚かましいSOSに俺がシカト決め込んでいると、お次はくぐもった音と共に、リチエの両腕が力任せに引き外された。糸が切れた様にだらりと、白磁の腕が血溜まりに転がる様を、俺は冷ややかに流し見している。

「ヨミ……助けて!」
「おまえが!おれの、名を、呼ぶな」

今まできしみすらしなかったハコを蹴りあけ飛び出すと、俺は灰色暴漢の面を横合いから殴りつける。コメディ映画のオーバーリアクション同然に、暴漢が壁をぶち抜き転がっていく。

「おら、起きなっ」

舞い散る粉塵を振り払いながら激しく咳き込む暴漢に歩み寄って、ぶっきらぼうに首を掴んで吊り下げる。俺がぐっと腕に力を込めると、うめき声を伴ってだらりと暴漢の手足が宙にぶらさがった。

暴漢は彫りの深いしわを伴った壮年の男で、安っぽいグレーのスーツぐらいしか服装上の特徴はなかったが。俺の注意を引いたのはこいつの眼だ。ひどく血走ったその眼は、この手の界隈の輩としても随分と狂気に満ちている。

「一つだけ聞くぞ。『綾敷エレナは、何処にある』」

瞬間、俺の身体が四方八方から湧き生えた赤い血管網によって、がんじがらめに覆われていく。当然、暴漢も俺の拘束から逃れて床に這いつくばった。その口の端が、三日月のようにつり上がって俺をねめあげた。

「当たりかよ」

暴漢はバグった3Dポリゴン像めいて飛び起きると、その口腔から赤い物をぶちまけた。俺の身体に巻き付いているものと同じ、血管網だ。人間のそれと同じ強度とは思えねぇがよ。

男が血管噴水機と化している時間はそう、長くはなかった。吐き出された血管群はうぞうぞと群れをなして暴漢に巻き付いていき、その質量を増していく。そうして、野郎はくだらない血管塊の巨像になった。俺はそれを、血管の簀巻きの中から見ていた。血管巨像が俺を指差す。うぜえ。そして雑な切れ込みの口がうごめく。

「なんだよ」
「綾敷エレナのパーツを、出せ。そうすれば多少は苦しませずに終わらせてやる」
「フンッ」

俺が鼻で笑うと、血管網がぎゅっとすぼまる。ギチギチと締め付ける簀巻きに、肺から空気が絞り出されていった。

「くだらない意地を張ると、そこに転がっている間抜け以上に苦しむことになるぞ?」
「は、は……ほしけりゃ殺して奪い盗りゃいい……こういう風に、よう!」

赤い華が散るように、俺を責め苛んでいた血管網がちぎれ飛んだ。二つに割れた俺の腕が振動に揺れる。俺の割れた腕の内から生えでた、鮫歯回転ノコがもたらすモーター振動によって。

「ぬぅん!?」
「遅え!」

鮫歯回転ノコが荒れ狂いながら、血管巨像がとっさに掲げた前腕に食い込み、ブチブチとその結束をまとめて薙ぎ払っていく。空の血管が、水撒きホースのように飛び散っていった。

「ぐぬぅう!」
「お前が!よこしやがれ!」

血管巨像が腕の断面より新たな血管触腕を伸ばすのを尻目に、俺はヤツの懐へと飛びかかってはど真ん中に回転ノコをねじ込む。まるでケーキを割り切りように、あっさりと荒ぶる殺戮ノコギリが怪物の内部へと潜り込んでいった。ゴムチューブをぶちりと引ききる感触はすぐに途絶え、回転ノコの振動が柔らかい肉を削る手応えに変わった。そうしてほどなく、空を切る感覚へと変わる。

「あがっ、アガガガッガガガガ」

俺のひょろ長い身体を受け止めながら、血管巨像がアーチを描いて後方へと転倒する。だが、やつは痙攣しながらも雨後のタケノコよりなお盛んに、新たな血管を俺に差し向ける。

「う!ぜ!え!」

苛立ちとともに、俺は自分の左腕骨ナタを血管巨像の首へと叩きつけた。ごぱぁんという奇妙な音と共に、宙にはね飛んだ血管巨像の頭から花弁が散るように、血管が撒き散らされていく。おぞましいまでに血管まみれになった床に転がった頃には、そいつの首は元の老け込んだおっさんに戻っていた。

だがその首も、俺がぐっちゃぐちゃにしてやった胴体も、撒き散らされた血管も、みるみる黒ずんで放置されすぎたバナナみてーにしなび、黒い灰になって崩れ落ちて消えていった。ヤツが後に残した物はたった一つ。ひとつまみの骨だ。俺はそれをつまんでマジマジと月光に晒した。

「終わったならボクを助けてくれないかな。収穫もあったようだし、いいだろう?」
「うるせぇ。そのまましばらくそこで転がってろ」

見た目だけなら、どう見てもただの骨だ。こんなもんを後生大事に持っていれば、狂人扱い間違いなしの、な。俺はつまんだかつての恋人の骨をジャケットの懐にぞんざいに放り込んで、うっとうしいクライアントへと向き直る。

「聞いてねぇぞ」
「何がだい」
「あの化け物は何だ。何故アイツの遺体の断片ってだけでアレが出来上がる。ふざけてるのか?」
「君の恋人くんは、そういう便利な素材だったってことだ」
「ふざけやがって」

ろくでなしのクライアントを目の前に吊り上げて、おもちゃのビー玉みたいな眼を覗き込む。おおよそ、まともないきものの眼じゃねぇ。

「アイツはただの女だった。それが今や変身アイテムだと?この世にはジーザスもブッダもねぇのか」
「どちらも本質的にはただのメンタルヘルスのドクターだよ。都合のいい救済なんて持ってこれるわけがない。ふふっ」
「クソが」

こいつは24時間365日こんな調子で、とてもじゃないが付き合いきれねぇ。よっぽどこの血溜まりの池に沈めてやりたがったが、俺がまだこの世で生きて動いているのは紛れもなくこいつの仕業で、なおかつ身体の維持のためには契約にしたがっていなけりゃならねぇわけだ。

このファッキン虚無倫理のガキをずだ袋を背負うように負い直し、このむせ返る惨状の部屋、その入口へと足を向ける。俺が入っていた金属のハコは、ガワから生えた八本の金属クモ足でカチャカチャと床を鳴らして随伴する。まったく、作り主よりよっぽどおくゆかしくて気がきいてる。

「ああ、そうそう。君に一つイイことを教えてあげよう」
「黙れ」
「ボク達が持っているエレナ嬢のパーツは、『心臓』だよ」
「ハァ?」

背中のぼんくらが告げた内容に、ピタリと俺の足が止まった。

「それがどうしたってんだ」
「大事なことだよ?なにせ君の体を今も動かしているんだからね」
「チッ……」

ファック。ありったけの罵倒を喉奥に押し込めて舌打ちにとどめ、俺は歩行を再開する。だが苛立ちは自然と詰問に変化して、俺の口から飛び出していった。

「あの頭のイカれた野郎どもが探し回っているアイツのパーツを、おまえが!どうして!それもよりによって心臓だと!?」
「なあに、ちょっとした縁だとも。仔細は気が向いたらまた話してあげるが、まずは彼女に感謝することだね」
「クソ……」

ヘドがでる心地だ、まったくもって。コイツは一体全体どんな心地で俺の反応を見ているんだかわからないが、どうせろくなもんじゃないだろう。

「今確実なのは、君の彼女はおおよそ128以上ものパーツに分解されて、各々の欲望を秘めた輩にそれぞれ持ち去られたんだってこと。項羽って英雄の末路は知ってるだろう、君は」
「死んだ後に、雑魚どもにバラバラにされて持ち去られたんだろうが。報奨金目当てで」
「正解だ。綾敷エレナという女性は呪術魔術オカルトの技術において、稀代の逸材だった。素材として、ね?」
「そこを念押しするなクソが」

無人のビルの、寒々しいコンクリ打ちっぱなしの階段を一歩ずつ降りるたび、俺は奈落の底へ自分から下っているような錯覚にさえ陥った。どうしてこうなった。どうして。

「彼女の肉体は髪の先から爪のひとかけら、血の一滴にいたるまで多くの奇蹟をなしうる願望機の塊だったといってもいい」
「だからバラされたっていうのか?ゲームのドラゴンみたいに、役に立つ素材だと」
「自分の欲望に比べたら、他人の命なんてどうでもいい奴らはいくらでもいるし」
「そうだな、おまえみたいにな」

階段を降りきり、ふきっさらしのエントラスに降り立つと、リチエは玄関のドアを開けっ放しにしていたらしい。俺の眼球に、しっとりとした空気が触れて、雨粒がアスファルトを絶え間なく苛む音が伝わってきた。

俺は傘をさすのも億劫で。ビルの眼の前におざなりに止められた黒のゴシックベンツの後方座席にクライアントを放り込み、助手席に身を放り出した。お付きのハコはお行儀よくトランクをあけて、自ら潜り込んでいった。

運転席は空白のままに、ゴシックベンツは俺ら死人達を乗せて、雨煙る古びて打ち捨てられたビル街を滑り出す。頬杖をついて雨粒が流れる風景に視線をこらせるのは、後方座席のボンクラが身動き取れない時くらいで、そうでない時はあのハコの中に逆戻りだ。

「まったく何が不満なんだか。現世にとどまれるだけで、万々歳だろうに」
「何もかもだ、このイカレポンコツめ」

とどのつまり、このイカれたクソアマのおもちゃとして、死んだ恋人の骨を拾い集めるのが俺って訳だ。他にはなにもねぇ。

【つづく】

#逆噴射小説ワークショップ  用の冒頭作品です。
続きはいましばらくお時間をください。

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