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駅のトイレ。【承】

 地面は、草で覆われている。
……というか、いつの間にか草むらの上に立っている。僕は目を剥く。え?何だコレ、あれ?駅のトイレの床がなんでこんな事になってんの?
 数歩、歩み出て、草に触ってみる。ちゃんと草の感触。幻じゃない。僕は立ち上がり、混乱したまま数秒立ち尽くして、後ろを振り返った。

 トイレがあった筈の場所には暗い空間が広がっているだけ。

「うそお!」
 思わず大声で叫んでしまう。何だ、なんなんだコレは!呼吸が早くなり、鼓動をやけに近くに感じる。僕はその場でぐるぐる回った。地面以外はずっと、どこまでも圧倒的な闇、闇、闇。
 僕は暗所恐怖症という訳じゃない。でも、空気が墨で出来ているような、こんな濃密な黒の中に立ち尽くす経験は初めてで、足が震えだす。怖い怖いここから逃げたい、という意識で圧倒されて、理性的な思考が出来なくなる。

 僕は鞄を抱えて闇雲に駆け出した。早くもっと明るいところ、街の灯、いや月でも星でもいい、ほんの少しでも光があれば。
 時々つまずきそうになりながらも、とにかく走った。
 突然、足が空を切り、あっという間に僕は前に倒れ込んだ。暗くて見えなかったけど、地面が下りの斜面になっていたらしく、僕はそのまま勢いよくごろごろ転がって、何かにぶつかり、一瞬息が詰まる。

 身体のあちこちがズキズキ痛む。僕はそおっと、痛む場所に手で触れ、ゆっくり動かしてみる。大丈夫、怪我はしてない。鞄を手探りで探して引き寄せ、ぶつかったものに触れてみる。
 ゴツゴツした感触と、手に触れる葉。……樹木?目を凝らすと、微かに木らしき像が見える。僕は周りを見回した。暗いことは暗いけど、ぼんやりと、辺りに何本も生えている木が見える。僕はゆっくり慎重に、木の間を歩いた。
 その時。隙間から遠くに光が見えた。灯りだ!人家だ!!嬉しさのあまり涙が出てくる。可能な限り急ぎ、光がすぐそこまで迫った時、僕は突然、木立を抜けて広い場所に出た。

 大きな古民家が建っている。障子を透かして明るい家の灯が見える。助かった!!
 安堵のあまり力が抜け、よろよろと縁側に歩み寄って手をついた。灯りを見上げて耳を澄ますが、静まり返っている。玄関は裏だろう。
 ふと空を見ると、ギッシリと星で埋め尽くされている。降るような星空とはこのことか、と思った。どう見ても都会の空じゃない。駅のトイレから一体どうして、こんな所にいるんだろう。

 身体に付いた葉っぱや土を出来るだけ払う。どう見ても不審者だよな、僕。
「あのお〜夜遅くすいませーん。道に迷ってしまいましたー。……どなたか出て来ていただけませんか〜?」
 同じ呼びかけを数回繰り返したが、建物の中はしんとしたまま、音や気配が全く無い。

 僕は縁側に座り、そおっと障子を開けた。内側にはガラス窓があって、半分くらい開けっ放しになっている。明るい室内は畳敷の和室で、一昔前の、紐を引っ張って点灯させる照明がぶら下がっている。
 中央には低くて大きなテーブルがあり、座布団が四枚、敷かれている。壁には作り付けの飾り戸棚が付いていて、青い花瓶には、薄い紫色の花を沢山つけた枝が生けてある。

 窓が開いていた事で、僕はここから室内に入りたい衝動と闘った。大声で呼びかけてみる。
「ごめんくださーい!……あのお、お邪魔しても良いですかー?……すみませぇん、疲れてるんで……上がらせてもらいます」
 僕は思い切って靴を脱ぎ、縁側から座敷に上がりこんだ。とにかく休みたい。不審者扱いされても構うもんか。色々ありすぎて、もう精魂尽き果てていた。

 障子と窓を閉め、畳の上に座る。鞄を脇に置くと、思いついてスマホを取り出した。表示は圏外。そんな予感はしてたけど、僕はかなりガッカリした。
 僕は両足を伸ばすと、天井を見上げて溜息をついた。ここはどこだ。何でこんな事になったんだ。どうすれば元の場所に戻れるんだ。……他の部屋に人がいるのか、探してみなければ。居たなら挨拶して、事情を説明しないと。ああでも、分かって貰える気が全然しないけど……。
 早く動かなければ、と考えるものの身体がどうにも重くて、少しだけ休もうと寝転がり、あっという間に眠りに引きずり込まれていった。


 胸に触れる気配を感じて、唐突に眠りから醒める。
 僕の胸に耳を当てている男と目が合う。男は目を見開くと、パッと笑顔になった。
「生きてるっ!良かったっ!いやー部屋に入ったら倒れててビックリしました。大丈夫ですかあ?」
 銀縁の丸メガネをかけた若い男は、ニコニコと僕を覗き込んだ。紺色の作務衣に同色のバンダナを頭に巻いている。黒い細身のパンツに裸足で、ぱっと見は居酒屋の店員みたいだ。
 僕は我に帰るとガバッと起き上がり、男の前で正座に座り直した。
「すみません!勝手にお邪魔して。あのっ怪しいものじゃありません。自分でもワケ分かんないんですが、気がついたらここに居て。いやホントどうなってるのか……」
 男は跪いた姿勢で手の平をこちらに見せるポーズをとった。「ちょ、待って。俺ここの人じゃないんす。自分も似たような感じで、気がついたらここに」
「えっ……」
 男は何か数秒間、眉間に皺を寄せて考え込んでから、僕を見て優しく微笑んだ。目が細くてちょっとキツネっぽいけど、結構イケメンかもしれない。
「まあ取り敢えず。俺、こういうもんっス」
 男は正座すると、ゴソゴソとズボンの後ろポケットから紙片を取り出した。皺くちゃなそれを手に取って皺を伸ばし、両手で僕に差し出す。

『浄◯真宗 本懐寺 
 住職 逝上 晃 Ikigami Akira』 

「住職……お坊さん、ですか?」
 僕は名刺と目の前の男を見比べる。逝上さんは満面の笑みを浮かべ、立て板に水の勢いで喋りだした。
「もうすぐ夏なんでねー霊界が近づくと時空が混乱して事故も増えるんすよ。要するに仏さんが成仏し損なう事がよく起こるんです。死んでから道に迷ったり、死んでるのに本人が気付いてなかったり。まあ坊主が忙しい時期ですわ。
 で、そういう仕事の帰り、モノノケ道を使ったんス。これはね、ヒトとか獣とか妖怪とか、色んな奴が通る道で、あちこちショートカットで行ける便利な道でして。でも思いがけないトコに時々繋がったり、あっち側に近づき過ぎたりするんで使い過ぎ注意っつーか……んで、そのせいで今ここにいるってワケなんすけど。お分かり頂けました?」
「……はあ」
 僕は勢いに呑まれて、わけも分からず頷いた。逝上さんは腕を組み、首をかしげた。
「そんでこの家ですが。どの部屋にも誰もいません。多分ですけど『マヨヒガ』じゃないっすかね。知ってます?迷うに家と書いて『迷い家』っす」
「聞いたことある……えっ、本当にある場所なんですか?!」
「ねーホントにあったみたいですね。いやぁ貴重な経験っすわ。あ、そういや、お兄さん。お名前聞いてもいいですか?」
「未神 郁人(みかみ いくひと)と、いいます」
「ほんじゃ未神さん。……脱出チャレンジってことで、一緒に頑張りましょ」
 逝上さんは立ち上がると手を差し出した。僕はそれに掴まった。


(承/完)



……この作品は拝啓あんこぼーろ様からの
リレー小説【起承転結の『承』】……です!!
またもや!そしてやっぱり今回も無茶振り!すいません……歩み寄れなくて。


そんなわけで【転】はあんこ様に続きます♫
乞うご期待!!

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