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外から見た日本語12 つかこうへいのことばについてちょっとだけ語ろうとして妄想が止まらなくなってしまった

学生時代に見て以来、2度目の「熱海殺人事件」と、ずっと見たいと思っていた女・木村伝兵衛の「売春捜査官」を初めて見た。千秋楽だったこともあってか、役者さんたちの演技にもセリフにも最初から最後まで気持ちのいい緊張感があってすごくよかった。久々に見る小劇場のお芝居。役者さんの動きをひとつも見逃したくない、セリフをひとことも聞き逃したくない、そんなふうに思わせてくれた舞台だった。

つかこうへいの作品は、芝居や映画になった小説やエッセイはずいぶん読んだけれど、芝居を見たのは、実は今回を入れて3回だけ。学生の頃、大学につかファンの友人がいて彼女が誘ってくれたので、紀伊国屋ホールで初めて「熱海殺人事件」」を見て衝撃を受けた。耳をつんざく大音響、怒鳴り合い、ことばをぶつけ合う演出、こんなこと言って大丈夫?と心配になってしまう差別用語の連打。

田舎者だった私は公民館と高校の体育館以外で演劇を観たことなんてなかったし、もちろんつかこうへいなんて知らなかったから、紀伊國屋ホールで見たつか芝居は文字通りのカルチャーショックだった。以来、芝居を見に行きたい気持ちはあったが、なかなか機会がないまま数十年が過ぎてしまった。先日ようやく念願が叶ったのだった。

女・木村伝兵衛が殺人犯、大山金太郎の背中を花束で打ち据えるシーンでは、花束で金太郎の背中を打つ度に花びらが舞台中に雪のように、桜吹雪のように飛び散る。一番前の席で見ていた私の足元にまで花びらが飛んできた。この残酷で華麗なシーンが、花びらがほとんど全部飛び散ってなくなってしまうまでしつこく続いてうっとりしてしまう。

舞台上の役者に当たっているライトが不意に1度だけ客席に向けて当てられるところがあって、すっかり劇場の薄暗さに慣れて開き切っていた瞳孔にライトが眩しくて思わず目の前に手をかざしてしまったが、こういういたずらっぽい趣向というか演出もすごく好きだ。意図はよく分からなかったけど。

そしてセリフ。実生活の中ではほぼ聞かれないような過激なセリフが機関銃のように続く。乱暴で差別的で狂気を感じるインモラルなことばなのにキラキラしていて、聞いていてゾクゾクしてくる。私にとってつかさんの脚本が特別なのは、そのセリフを役者になりきって言いたくなってしまうところ。「熱海」の木村伝兵衛や「蒲田行進曲」の銀ちゃんになりきってセリフを言いたくなるのは私だけだろうか。つかさんが繰り出すことばにはそういう魔力がある。

映画「青春駆け落ち編」では、風間杜夫と大竹しのぶが駆け落ちする恋人同士の役で、風間杜夫が「そうだ、駆け落ちしよう。新幹線で行こう!」と言うと、大竹しのぶが風間杜夫のほおをひっぱたいてこう言う。「夜汽車よ!夜汽車で行くのよ!」私も風間杜夫をひっぱたいて「夜汽車よ、夜汽車で行くのよ!」と目をキラキラさせて言うところだけでいいからやってみたい。

「蒲田行進曲」では、銀ちゃんがヤスにくれてやったキンキラキンのド派手な衣装を「着て見せろ、着て見せろ」と言う場面があり、平田満扮するヤスが頭を掻きながら全然似合わない銀ちゃんのお下がりの衣装を着て見せると、銀ちゃんがハエたたきでヤスの頭をペチペチ叩きながら「似合うじゃねえか」。このシーンも好きで、見る度にハエたたきを持つ銀ちゃんの役をやりたいと思う。

私は幼稚園で「3匹のこぶた」の主役を張ったのが最後で、以来芝居なんてしたことがないし、そんなことができるとも思っていない。でも、つかさんの芝居や映画の中には、このセリフ言いたい!と強烈に思うところが随所にあって、このセリフを言うためだけに5分でいいから女優にさせてくれと思う。セリフを心の中でつぶやくんじゃなくて、舞台上でシャウトしたらさぞかしカタルシスを感じるだろう。

女・木村伝兵衛の「売春捜査官」では、花びらが飛び散るほど激しく花束で大山金太郎の背中を打ち据えるシーンをやってみたい。ラストは警視総監に電話をかけて、「警視総監殿、今、義理と人情は女がやっております!」と言って幕になるが、あのセリフもシビれる。

20年以上前にテレビでたまたまつかさんのドキュメンタリーを見た。そのとき、女・木村伝兵衛がこのセリフを言うシーンが出てきた。私の記憶が正しければ、この時のセリフは「今の世の中、義理と人情は女がしょって立ってます!」だった。あまりにこのセリフが好きすぎて、1度聞いただけなのに頭にこびりついてしまった。

おそらく、このセリフを聞いて、「そうだよなあ。私も義理と人情しょってるところあるもんなあ」と共感したからだろうと思う。下町ほどじゃなくても、義理と人情がそこはかとなく漂っているコミュニティの方が私は好きだ。話が脱線しました。

「熱海殺人事件」のラストでは、部長刑事、木村伝兵衛が人差し指と中指に挟んだタバコに、富山からやってきた新任刑事、熊田留吉が100円ライターで火をつけ、伝兵衛がそのタバコをキザに吸って煙を吐き、「うん、いい火加減だ」と言ったところでバッツンと幕になる。このシーンがもんのすごくかっこよくて、タバコも吸えないのに、ここんとこだけ木村伝兵衛のように黒のタキシード着て、タバコを指に挟んで伝兵衛になりきって、このセリフを言ってみたくなる。スポットライトをカーッと当ててもらって、ポーズを決めて「うん、いい火加減だ」と言った瞬間に暗転して大音響の音楽がなって芝居が終わる。これで私も木村伝兵衛〜。

木村伝兵衛のセリフを聞いてシビれるためにも、自分が伝兵衛になりきってカタルシスを得るためにも、セリフは日本語じゃなきゃダメだ。シェイクスピアのように外国の芝居が日本で上演されたり、日本の芝居が海外で上演されたりするが、私はつかこうへいの熱海殺人事件を英語で演じることが可能だとは思えない。

つかさんのあのインモラルなセリフの数々がキラキラしているのは日本語だからだ。「熱海」の芝居に流れている優しさや哀しさ、義理と人情も英語に翻訳しただけじゃ伝わらないだろう。どんなに精緻に翻訳したとしても、日本語の音とリズムは他の言語には絶対に転換できない。私にとってつかさんのセリフの魅力の大きな部分を占めるのは、あの機関銃のような演出にピッタリはまる日本語の音とリズムだ。

私が表現したいものも日本語の中にしかない。それを探したい。



らうす・こんぶ/仕事は日本語を教えたり、日本語で書いたりすること。21年間のニューヨーク生活に終止符を打ち、東京在住。やっぱり日本語で話したり、書いたり、読んだり、考えたりするのがいちばん気持ちいいので、これからはもっと日本語と深く関わっていきたい。

らうす・こんぶのnote:

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