『ピアノの森』の物語に本当はピアノなんか必要ない

『ピアノの森』って物語の展開がオーソドックスでありながら変則的というか、ピアノを題材にしていながら実はそれは目的でも何でもないというか、とても独特な作品だと思うのですがいかがでしょうか。

『ピアノの森』と題されているだけあって、この物語は最初からずっと、ピアノとともにありました。主人公・一ノ瀬カイがピアノを通して様々な人と出会い、影響を与え、どんどん広い世界へ、高い舞台へと進んでゆく。少なくともストーリーはそうやって進んでいます。誰もが彼のピアノに魅せられ、彼にはそれだけのピアノを弾く才能と人間としての魅力があります。

しかし実はこの物語、ことカイの青年期になってからは世界的なピアノのコンクールが話の中心になっていますが、不思議なことに、その勝敗って全くといっていいほど問題じゃないんですよね。さらにいえば、コンクールでのピアノ演奏のシーンも別に重要じゃない

それが最もよく表れていたのが、最近でいえばカロル・アダムスキがショパンコンクールの予選に落選する回です。

ポーランドの出身で若くしてすでに世界的に活躍しているスターであるアダムスキ。ショパンコンクールは聖地ともいえるポーランド出身のピアニストがグランプリを撮るのが好ましいという慣例があり、実力も実績も充分のアダムスキは、有力候補と見られていました

しかも彼は一見チャラそうなイケメンでありりながら、自分も大変な時でも他人を気遣える優しさを持っていることも描写されていて、カイの前に立ちはだかるライバルとして充分すぎるほどでした。

しかし結果は、予選で落選。

ミスをしたわけではなく、おそらく政治的な理由での落選です。しかしそんな場面でもなおアダムスキは、予選を通過しながら精神不安定な雨宮をフォローし、エールすら送ります。どこまでも懐が深く、器の大きな若きスターです。

しかしここで重要なのは、技術も人柄も素晴らしいカロル・アダムスキというピアニストが落選した理由ではありません。

予選の後、アダムスキはおそらくプライドよりも優しさと思慮深さのせいで、審査の理不尽を誰に訴えることもできず、ショックのままに泣くこともできず、外が暗くなってからコンクール会場を後にしました。するとそこには、かつての師(すみません名前覚えてません)が彼を待っていたのです。

未熟さゆえの思い上がりからひどいことを言って、喧嘩別れのように離れてしまった師。しかしかつての師は、長い間会っていなかったアダムスキを誰よりもよく理解していました。審査員に酷評された選曲もアレンジも、すべては彼がショパンの人生をたどり、できうる限りの理解を試みた結果だったのだと。

そこで初めて、感情をあふれさせるアダムスキ。

そしてアダムスキの人柄と実力のそこはかとないアンバランスさは、すべてはこの師との関係から始まっているのだと、視聴者に初めてわかります。おそらく別離の後に多くの後悔と挫折を経験したことでしょう。その度に師の教えが彼の心に響き、成長と研鑽のエネルギーになったことは想像に難くありません。

人が幸せになるのに、そんなにたくさんのものも大きなものも必要ない。ほんの小さな出会いや、たったひとつの言葉で、人は胸いっぱいの幸福を得ることができる。――それはピアノかもしれないが、ピアノである必要はない。

少なくとも、アダムスキの心にずっとあった空洞を満たしたのは、ピアノでもコンクールの勝敗でもありませんでした。ただピアノを通じて出会いと別れがあり、長い年月を経て今それがやっとかけがえのない結晶となった。またコンクールに出ようとか次こそはグランプリをとろうとか、それは全くの別の話。

『ピアノの森』は、これからさらにこういった心を満たすささやかな幸福を描いていきます。その幸福を奏でるのに、ピアノの音色がちょうどいいのかもしれません。それも抒情性に優れたショパンの局であればなおさら。

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