縛られる感覚

皿洗いを目の前にすると、
ある種の緊張感を感じる。

束縛感というか。

前にも書いたけど、
実際に皿洗いをやり始めると、
意外に平気で、
そこまで重い感じもなく、
ただ流れるように軽く淡々とできるんだけど、
やり始める前は、
なんかやりたい感じとやりたくない感じが
引っ張り合うような、
緊張感、重たい感じがある。

皿洗いだけか?というと、
たまにやる軽い草抜きでも、
風呂とかほかのゴミ出しとかの軽い家事でも、
同じ感覚がある。

学校の宿題でも、
同じ重たい感覚があった。
やらされる、
ルールや、親や教師みたいな、
パワーや権威を持っている存在に
強制されるというか、
「これをやるべき、
やるのが正しい」
というレールに押し込まれるような感覚。
宿題は嫌だったけど、
授業は好きだったのは、
授業は手をあげて発表して、
自分をある程度表現する自由感があったからかもしれない。

勉強会やシェア会へのオンライン参加も、
この重さはあった。
自分の意志とか意図では参加しよう、
と思っても、
体が重くなる。
頭の決断や意図に、
体がついてこない。

家事はまだやろうと思えばできるんだけど、
重さが強い時は、やらない。

思うのは、
具体的な行動や状況が原因で、
束縛感を感じているわけではないのかもしれない。

マンネリ感とかも若干感じることはあるけど、
世界中どこにいて何をしても、
たぶんある感覚だろう。

肉体として存在してること自体に、
束縛感やマンネリ感、
窮屈感があるんだろうか?

臨死体験エピソードでは、
よくあっちの世界で、
意識が無限に拡張して圧倒的な解放感や自由感を感じたあと、
肉体に戻る過程がすごい窮屈で、
狭い小さなところに押し込まれるように感じる、とあるけども、

意識が肉体にあるから窮屈なのか、
または、
無意識に肉体と同一化してセルフイメージがあるから窮屈なのか。

自由になった心は、
人間として肉体として何かやっていても、
自由なんだろうか。
夢を見ている自覚があるとか?
まだわからないけど、
書くことが驚くような変化をもたらすのを
こないだ書いたコンビニアダルト雑誌の記事で実感したから、
とりあえず書いてみた。

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