嫌いだった村上春樹

最近村上春樹の本について書いてばかりだけど、
高校の頃は、村上春樹が嫌いだった。
高校の図書室で「1Q84」を少し読んで、
何が良いのか、
作者が何を表現したいのか全く感じられず、
「ノルウェイの森」を読んでも、
性的な表現に興味を惹かれただけで
何が良いのか、
感動なのかわからなかった。
ただ丁寧で回りくどい、
細かい描写と、
なんだかよくわからないフワフワした
微妙に現実離れした雰囲気がある、
としか感じられなくて、
自分が村上春樹に抱いたイメージは
「いかにも深い含蓄や意味がありそうな、
わかったようなわからないような、
いかにも評論家とか
小説好きの人たちにウケそうな、
言葉回しが回りくどくてナンセンスな、
なんかフワフワした物語を書いて、
本を売って有名になりたいだけの作家」
だった。
中身がありそうで本当は空っぽみたいな。
それで村上春樹を敵視するというか、
村上春樹を好んでいる人たちも、
「ピカソの絵を褒めるみたいに、
なんか名作とされている作品を
褒めて好きだと言えば、
文学わかってる人っぽく見えるから
好きなフリしてるだけで
実際には中身がない人たち」に見えていた。

それぐらい毛嫌いしてて、
村上春樹というなんか男らしくない、
気合いが入ってないポワポワした
生温かいような名前も嫌いだった。
有名な小説家は太宰治とか芥川龍之介とか、
名前がガッシリした男らしいイメージだったし。
「文学好きをうそぶく人たちに持ち上げられて
良い気になってる、嫌なやつ」のイメージだった。

今年になって、ファンタジーではなくドキュメンタリーっぽい「色彩をもたない多崎つくると、彼の巡礼の年」とか「ドライブ・マイカー」を鑑賞してみると、
高校の時に感じたのとは印象がまるで逆なのに驚いた。
のりこさんも村上春樹原作の映画「ドライブ・マイカー」
の感想を書いていたけど、
すごく丁寧に人の痛みとか心の傷とか、
そういうものに真正面から向き合うというか、
すごく真摯で誠実な姿勢が感じられた。

こんなに傷ついた人の心に真正面から
向き合う作家がいるのか?
と思うくらい丁寧だったし、
作品というより作者の姿勢それ自体に感動した。
「多崎つくる」と「ドライブ・マイカー」
は、両方とも、
「信頼していた大切な人に裏切られた痛みや悲しみ、怒りを抱えて生きる」
主人公の物語で、
自分が誰かを傷つけたり、
傷つけられた過去の体験を
作品の中で再体験させてくれて、
その痛みや罪悪感が自分個人のものじゃなくて、
誰もが抱えている同じ痛みなんだ、
みたいなのを実感させてくれるような感じだった。
正しい使い方かはわからないけど、
ホメオパシー療法というか。

ヘルメス・シャンブという方がいて、
この人が「最も嫌いで避けたかった人が、
最も仲の良い友人になるかもしれません」と
Noteで書いていたけど、
まさにそうだと思ったし、
ヘルメス・シャンブさんもうさんくさい人だと思っていたから、
その記事やナチュラルスピリットのYoutubeのインタビューを見て、ヘルメスさんは
誠実な人だと思った。

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