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母は突然 茨城のど田舎に引っ越した。

冬超え・ 初年度編 

東京の国立市→茨城の山奥、という今から26年前に5年間だけ経験した田舎暮らしの備忘録です。


近年、田舎で暮らすことが若い世代の方含め増えていますが、当時はまだまだ実際にやる人は少なく、さらに私は田舎暮らしに夢や憧れがあったわけでもなんでもなく、パートナーのしつこい願いで引きずられるようにはじまりました。

それももう今から30年も前のこと。

あしかけ5年ほど、茨城県の山奥の、県民でさえ村名を知らない鄙びた(ひなびた)村で過ごしましたが、どんどんとエスカレートしていった物を持たない生活は、「まるでチベット」と来てくれた人に言わせてしまうほど悲惨だったようです(笑)

でもおかげでどんな場面でもやっていけるという揺るぎない自信になりました。

当時は、若いがゆえに無謀にもできたことがたくさんあって、そしてなんの前知識もなかったがゆえにしでかしちゃったこともたくさんあります。

そのときはまだ1歳だった息子にこの時の経験を文字にした方が良いと言われ書きはじめましたが、もしかするとこれらの記録が、これから田舎で生活していく人、コロナ渦の世の中で少しでも役に立つかもしれないという気持ちで、忘れかけている記憶をたぐりよせて備忘録的に書いてみようと思います。

あれは1992年のこと。当時は東京の国立市に住んでいたのですが、私の想いとは裏腹に元パートナーの希望で引きずられるように田舎暮らしがスタートしました。

田舎に行くことが離婚するしないまで発展するくらいその時の私は田舎に行きたくありませんでした!

国立は大好きな街でしたし、離れたくなかったのです。

しぶしぶ茨城県の辺鄙で小さな村の古い空き家を借りて住むことになったのです。

国立ではマンション暮らし。

マンションでの暮らしをそのまま田舎の囲炉裏を切ってあるような古い家に持っていきましたがものの見事に合いません。

越したのが暮れも押し迫った12月だったので、寒いだろうということで新品の電気ファンヒータを購入していったのですが、

ところが設定温度をどんなに最高値(32℃だったかな?)にしても、現在室内温度は0度表示のまま。

最初は意味がわからなくてファンヒーターが壊れているのかと思いました。

スカスカの隙間だらけの昔家で、天井が吹き抜けになっている屋根そしてすぐ空、みたいな空間では温めた空気はすぐにどこかに消えてしまい、ファンヒータがまったく機能しないのです。

囲炉裏もあったのですが、使ったのは最初の1〜2回だけ。これ、暖はまったく取れませんでした。

北海道出身の私にとって寒さは絶対的に防ぐべきものであり、なんとしてでも家中を暖かく快適にしたかった。もとい、するべきなのだ!との強い思い込がありました。

このままでは北海道人の名がすたる、くらいの勢いですきまを塞ぐ作業を夫婦二人ではじめたのですが、日本の家は湿度を優先に考えられて建築している?というくらい暖が取れませんでした。

極寒の地、北海道の住まいは冬の寒さを重点的に考えて作られていますが、日本の古屋に住んで初めて知ったことは、日差しの入り方、風の抜け方、そして木が湿度に対応することを意識して床板もスカスカ、ベランダ長い、、、と、これらすべてが湿気に対応してるということ。

そこですきま埋めをあきらめて思いついたことは、

「火」

まるで原始人が人類初めて「火」を見つけた瞬間みたいに、私の頭に閃いたことは「火を焚くこと!」でした。あの赤々とした有機的エレメンツです。

薪ストーブだ!もうそれしかない。

私は、幼い頃の、祖父母の家で赤々と燃えていてあっついくらいだったストーブの存在を思い出しました。そういえばよくあのストーブの上でお芋焼いてたなぁ。。。

そうそう、そうだよ、こういう家にはそのくらいパワフルな熱が必要。

でも世の中の立派な鋳物の薪ストーブはとても高価で、私たちがおいそれと手を出せるような価格ではありませんでした。

そこで車で1時間ほどの距離にある金物屋さんの奥で、ホコリを被っているトタンでできた簡易の薪ストーブを購入して(たしか数千円でした)、近所の材木屋さんから切れ端をもらい、ストーブを炊いてみると、

ようやく、、、ようやく暖が取れたのです。

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これが実際に大活躍した薪ストーブ。ほんとうに火には癒やされました。


私は最初、薪に火をつけることができませんでした。

というか、大きな薪にそのままライターの火をかざし、なぜ薪に火がつかないのだろう?と不思議に思いながらも1時間も2時間も頑張り続けていたという無知さ。

パートナーが留守をしていたある時、そうやってライターで薪に火をかざしながら時は経ち。。。

家はどんどんと冷えていき、とうとうそこら辺にいた近所の小学生を呼んでストーブの火をつけてもらうという情けなさ。

火ってまず枯れ葉とか紙くずで種火を起こし、次に小枝、次に枝。。。というふうに火を順に大きく起こしていくものなんだと、田舎で暮らすようになってはじめて知りました。

安い薪ストーブでしたが、私達一家にとって救世主のような活躍をしてくれた薪ストーブ。

たしか時計型というタイプだったと思いますが、すごい火力で。。。というのもお金のない私達が使える薪といえば、一瞬すごい勢いで燃えてその後すぐ燃え落ちてしまうという「杉」が主でしたから、寒いのが苦手な北海道人一家はどんどん杉を焚べてしまうのでした。

ある時、ストーブの下の床から黒い煙がもうもうと立ち上がってきました。

あまりの火力でストーブの真下の床が熱さのあまり焦げてしまったのです。慌てて水をかけまくりました。

ストーブはもちろん直に床に置いたりはせず、レンガで4箇所を持ち上げていたのですが、火力が強すぎたのだと思います。床とストーブの間に空間があるのがいけなかったのでしょうか?

完全に火がおさまったことを確かめたあと、レンガを敷き詰めさらにタイル張りのストーブ置きの板を載せ、その上にストーブを乗せることにしました。

初年度はこんなふうにまだ田舎暮らしがファッション的でしたが、月日が流れ慣れてくると土間を拡張してそこで焚くようになっていきました。


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