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恋愛小説 冬の恋人

廃倉庫の監禁場所に向かう、重たい鉄の扉を押し開けるように

逆光の人影と、もう帰れないあの扉の向こう側の世界の光りが、わたしをのぞきこんでいる

でもわたしは繋がれてはいない

ただ遠い目でその人影と光りを眺めている

手足の自由がないわけではない

例えばロングデニムスカートの
スリットの上のクロスのしつけ糸

あんまり見事な縫い取りなので
鋏を入れたくなかったのよ

ヒールの高い足首の隠れるブーツだった

わたしはそろそろと
小さな部屋の中で隠れ住む

TOMIZのココアパウダーと砕いたクルミの、ほろ苦いクッキー
シュンシュンと湯気を立てる、アラジンストーブの上の赤いヤカン
ヒールのブーツで背伸びをすれば、換気の小窓は開けられる

鉄の階段の上の
格子が死角になっていて
たぶん
わたしが背中越しに開いた扉を見ても
人影のあなたが見上げても
わたしのことは見えないわ

それでもわたしの心は揺さぶられて
動揺した
今まで慎重に歩いていたのに
突然床に叩きつけられた
ロングデニムスカートのスリットの上のしつけ糸
ブーツの足がもつれて
倒れたままそこを見た
クロスのしつけ糸は弾け飛んでいた

起きなくちゃ

「いつまでそこにいる気なんだい?早く出てきなよ」

扉を押し開いたまま、人影が聞く

今まで誰もわたしのドアを開けた人などいない
開いたことなどなかったのに

「あなたは誰?」

「そこを降りて来て見てみれば?とても簡単なことだよ」

知らなければ問題は起きない

知ったところで煩わしい

知らないまま薄れてゆく

寝静まり返った通路の暗がりの自販機の青い光りに

ただ深い理由もなく立ち止まり

暇潰しに小銭を消化し

烏龍茶の缶を抱えて

なぜ飲みきれないのに買ったのかと途方に暮れた

あの日のように

振り返らなかったら

知らなくて済んだ


「出ておいで」

変な小説家のなせる技

死んだ母親だってわたしの手を離したのに

わたしは銀のフォークと紺色の万年筆しか持ったこともないような男の白い手のひらを握る

夢の中で、わたしはたいてい地の階段を下りてゆく

現実は、わたしの手を引いて、わたしにはるか頭上を見上げさせる


しゃりしゃりとした舌ざわり

生クリームと生乳を混ぜてクラッシュした流氷
ねっちりとしたバニラの氷山
ホワイトモカの海水

小さなガラスの中の珈琲ビーンズ
意味もなく氷山に落とす
象牙の海水に沈んだ

赤い薔薇の花びらが氷山に舞い落ちる

冬だけのサービス
花びらを入れて氷らせる
冷たいと思うのか
美しいと思うのか
儚いと思うのか
けだかいと思うのか

それはあなた次第

「不思議だよ、君のことはまだ飽きない」


暖房は隅々まで行き届いている
ブーツはロングだし、パシュミナは膝にかけてある
面白いポンチョを見つけたので、さっそく着てきた
袖は半袖で、両の裾がストールのようにはためくのだ
デパートの2階のブティックで、気になった
さっき下を歩いていた時に、偶然同じような柄の帽子もあった
赤×白×黒のチェック柄
細身のパンツでも、スカートでも合いそうだった

パシュミナもタータンチェックだったら、セットアップのように巻けたかも知れない

少し先のファンシーショップで、ショールを探していた

無難にグレーを選んだ
シルバーの光沢も入って、大柄の花模様
紫がかったタイツの上から腰で巻いてスカートにした

本当は鮮やかなブルーの、赤い花の模様のショールを狙っていた
ジーンズ姿のロングヘアを一本止めした、初老の男性が広げて見ていたので、気になって見ていたら目が合った

「これ派手かなあ」

奥さんにだと思った
なら仕方ない
わたしはあきらめよう

「全然大丈夫ですよ。似合うと思います」

嬉しそうに笑う

「そうかなあ~。よし、買って来よう!ありがとう!」

わたしも笑って、またショールに目を落とす
レジから戻ったその男性は、わたしとすれ違い様、さっきのブルーのショールをストールにして自分の首に巻いた

そして「じゃあ!」と右手を挙げて行ってしまった

ア然・・

あまりにも自然体過ぎて
似合い過ぎてて
かっこいい!
昔、ミュージシャンかなにかかしらー
なにより奥さんにじゃなかった!

不思議なものを見せてもらったわ

わたしは今日の出来事をこの恋愛小説家に話して聞かせるか、ホワイトモカを食べている間中考えていた
たぶん、沈黙したら切り出す

その前にこの人が、わたしの今日の装いに気付くかどうかが条件ね、と思った

でも発した言葉は

いつわたしに飽きるのだろう、と自分でもわからないと言うことだった

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