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会社を辞めた時の思い出話。

先日、新規の取扱いのお問い合わせをいただいた。コロナ禍ということもあり、会社を辞めてトレイルランニングのショップをオープンするということだった。

その問い合わせで、ふと自分の会社員時代のことを思い出した。

ぼくは今では起業家(?)だが、元は会社員だった。1992年にユナイテッドアローズにアルバイトで入り、翌年の8月に社員になった。

いま思い返すと、なんとも厄介な社員だったと思う。どんなことも自分で消化して納得しないと「はい」と言わない、いわゆる「YESと言わない男」だったのだ。若さゆえかそうした性格が会社への不満につながり、常に会社批判。完全に出世しないタイプである。当時の社長に「また渋井か」と言われたこともあるし、上司も他部署の方も苦労されたと思う。大変遅くなりましたが、その節にはご迷惑をおかけしました。

さて、そんなぼくだが、転機が訪れた。当時は半期に一度上司との面接があったのだが、ある時、部長(創業役員)にこう言われた。

「渋井。会社に不満があるようだけど、不満があるなら、会社を変えるか、自分を変えるか、辞めるしかないんだよ」。

シンプルだが、真理。とても納得して、それからは不満が少し減った(ゼロにはならない)。

結局、その数年後の2005年に会社を辞めるのだが、決して不満が溜まって辞めたわけではない。会社が目指す方向性と自分のやりたいことが変わってしまったのだ。だから今でもユナイテッドアローズは大好きだし、お世話になった上司や先輩、後輩にも感謝の気持ちを持ち続けている。

結果的に「辞めた」のだが、残っていたとして、会社を変えることはできたか。おそらく難しかったと思う。組織が向いていないので社内政治などできないし、圧倒的な能力の高さを持ち合わせているわけでもない。

では自分自身を変えられたか。これも絶対無理。性格的に無理だから今はひとりで好きなことを商いにしている。

つまり、もしかしたら一番楽な道を選んだのかもしれない。

いつも思うのは、会社員にも小商にも向き不向きがある。これは間違いない。だからといって、不向きなことに挑戦するのが無駄だとは思わない。ぼくは会社員に向いていなかったが、今のぼくを形作っているのは間違いなく、会社員時代の経験だから。

楽な道や好きなことはいつでもできる。だから苦手を克服する意味でも、不得手なことに挑戦するのも悪くないと思う。ぼくがユナイテッドアローズでアルバイトを始めたきっかけは、「人見知りだから接客業で直したい」だった。

そして、もし袂を分つ時が来たとしたら、お互いにポジティブな気持ちであることが大切。お世話になった方々を悲しませたくはないし、いつか時が巡って再び一緒に取り組むことがあるかもしれない。飛ぶ鳥、跡を濁さずである。あれ、ぼく跡を濁していないよね?

お問い合わせいただいたトレイルショップをオープンされる方。新しい船出を応援しています。自営業、会社員問わず、すべての挑戦する人たちをリスペクト。

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