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たいがいのエモさについていけない

四月になったよと思った刹那、早くも四月終わりそうだよ。新元号も発表された2019年春。春はエモの季節?芽吹きの時なので、人間も動物ですから、芽吹くパワーで、うわー!!っていつもより感情的になったりするもん…なんだろうか?自分ではいまいち分からないけど。寒い寒い暖かいとかない交ぜの気候を繰り返して、フィジカルもメンタルも混乱しがちってのは確か。てか、私、そもそもエモいことが苦手なんだよな…。

いや自分の中でさ感情を味わったり…それはいいんだよ、私もしょっちゅうやってる。だけど、そーゆう自己完結的なことってしない人はしないよね。できないのか、しないのか分からないけど。エモさをシェアしようとしてくるのってあれなんなの?そんなにエモさを平気で外に出して、それを分かち合おうとすることに抵抗ってないの?って思うことが、仕事でもプライベートでも多いんだよな~。だいたいの人と付き合ってると、エモの押し付けにへとへとになってしまう。

そもそも感情オンリーでのコミュニケーションが、苦手。博愛以外の気持ちから出る行動・言動・圧・雰囲気をどう対応したらいいか分からない。これは最近考えたんだけど、なんで苦手なのかって、うちのママは、喜怒哀楽があんまりない安定したタイプだったからかも…。そーゆう母親に育てられると、アップダウン激しいのって、ほんとにしんどいし、そもそも理解できないから、理解できないものはこわいし、対応もできないってことかな、と。あと、感情だけで突っ走るならそれなりのヤマとかオチとかがあるネタとしておもしろいエピソードにしてほしいなって思うの。親友Mちゃんなんて、感情が暴走して、航空会社のカウンターで大泣きしたとか、宅急便の配達員のおっさんと大喧嘩したとか、タクシーの運転手と…などなど、毎回毎回ネタとしてクオリティ高い実話を持ち込んでくるから。そんじょそこらのネタじゃ乗り気で聞けないわけ。

ってところまで書いて、いつも読んでるブログで勧めてた苫米地英人の「近未来のブッダ」を読んで、なんでかわかった!その本は、慈悲(さっきは博愛と書いたけど)についてとっても分かりやすく書いてあるんだけど、要は情動だけで慈悲のない行動や言動にまったく共感できないからなんだって。

思うに、情動はあってもいい(てか当たり前に誰にでもあるし)でもそれに振り回されたり、それだけじゃ他人は理解しずらいと思うんだよな。しかもだいたいのこのパターンの場合、当の本人は、自分が感情的とか情動的とかって思ってないんだよね、ただ感じたままに垂れ流しているだけだから。なので、それをやめてくださいっていうと、全自分を否定されたような気持ちになって、勘弁してよってのはこっちなのに、あちらに落ち込まれてしまうという悪循環。わーっと盛り上がったり、ズドーンと落ち込んだりこのアップダウンがきついわけです(本人も周りも)。

考えてもみて?気温だってアップダウン激しいと身体とか自律神経ついていけなくて、体調おかしくなったりするじゃんね。それと一緒よ。でもそのアップダウンにひたって、生きてるって実感を得ている人も…まぁいるんでしょうね。でも、それってホントに自分がそのドラマを楽しめてますか?ってところが大事なポイントだと思う。そーゆう人っていつも「自分は結局不幸だ」「やりたいことができない」とか「いつも貧乏くじ引く」とか言ってるタイプが多いからさ~~~。

それに周りがついていけないってなることも多いだろうし、同じタイプ同士で当てこすりあってるんならいいんだろうけど。趣味の悪いつまらない映画や小説を見せられてる読まされてるようで、メンタルへのダメージ半端ないから~。そんな時は、そーっと、俊敏に長ーい距離を取らせていただきます、ご免あそばせ。


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