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メモから浮かび上がるパターン/生活のリズムとそれを壊すもの/データベースから遠く離れて/デイリーにおけるテンプレートとは何か

Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~2020/08/03 第512号

はじめに

はじめましての方、はじめまして。毎度おなじみの方、ありがとうございます。

毎日少しずつ進めていたPoIC wikiサルベージプロジェクトが先日完了しましました。ついでに、プロジェクトのデータを誰でもインポートできるようにjsonファイルをGitHubにアップロードしておきました。詳しくは以下の記事をどうぞ。

もともとの動機は「えっ、あの面白いページもうWebで読めないの!? 残念!」というものだったのですが、改めてWebにおける情報共有について考える機会にもなりました。その辺り、考えたことについてはまた後日記事にしてみたいと思います。

インターネットが当たり前に使えるようになった現在、いかに自分の情報運用環境を整えるのかと共に、いかに知を広めていくのかも大きな課題になっていると感じます。

ついでに言えば、特定のテーマについてわいわいガヤガヤ盛り上がれる掲示板のようなシステムも欲しいところです。かといって今更2ch(5ch)という雰囲気でもないので、新しい仕組みを作っていくしかありませんね。

〜〜〜ユニクロマスクの期待感〜〜〜

ユニクロがマスクを作るということで、一時的に人気が爆発していたエアリズムマスクですが、ようやく最近は人気が落ち着いてきたようで、店頭で見かけることも増えました。

で、発売前は「涼しいマスク!」という雰囲気が先行して過剰な人気になっていたようですが、実際につけてみるとそれほど涼しくないということでがっかりした方もいらっしゃったようです。でも、考えてみれば、涼しい=通気性が良い、であり、通気性が良いマスクは、その主要な役割をまっとうできていないわけで、基本的に矛盾した概念であることがわかります。無理難題なのです。

で、そうした過大な要求から一歩退いてみると、たしかにエアリズムマスクはつけ心地が良いものです。耳が痛くなりにくいですし、マスクそのものが熱を持つことがありません。その部分の不快さは綺麗にぬぐわれています。さすがです。

なんというか、事前に過剰な期待が盛り上がって、実際触ったらがっかり、というのはWebツールでなくても起きるのだな、と思った次第です。

〜〜〜フードコートの先入観〜〜〜

フードコートで昼食をとっていたときのことです。

少し離れた席に団体さんが座っておられました。その中のひとりが必要以上に大声でしゃべり、大声で笑っておられて、ああ粗暴な
人だなと思っていたところ、その団体が退席するタイミングでその人がすべての席をもとの場所にきちんと直したあと、布巾を持ってきて、テーブルをしっかり拭いた後、立ち去っていかれました。

ああ、先入観って怖いなと感じた次第です。

私がもし途中で退席していたら、その人は「粗暴なだけの人」という印象で固定化されていたでしょう。一方、その団体が退席するタイミングに私がフードコートに到着していたら、その人は「きちんとした人」という印象を持っていたでしょう。

しかし、実際その二つの印象は一人の人間の中に重なるものなのです。どちらが正しいというのではありません。二つの側面を持っているのが、人間存在なのです。断片的な接触では、あまりに断片的な印象しか形成できないのです。

もちろん、その人が家に帰ったら別の姿を見せるでしょうし、職場でもさらに違った印象を形成するかもしれません。結局、私たちが知りえるのは、どこまでいっても断片的な印象でしかないのです。完全な「知る」に手が届くことは永遠にありません。

にも関わらず、私たちはすぐに「知った」気持ちになってしまいます。「知る」ことで情報を固定化させ、つまりは世界を固定化させて安定を図ろうとするのです。

もし理性というものがあるならば、その情報の固定化に抗う力のことを指すのでしょう。真に「知る」ための力ではなく、いつでも「知った」を却下していく力としての。

〜〜〜今週見つけた本〜〜〜

今週見つけた本を三冊紹介します。

著者のジョヴァンニ・ボテロは、1550〜1600年頃に活動していたイタリアの聖職者、政治学者です。彼は、手にしうる情報源から主要な都市が栄える要因を地理条件と政治政策の二方向から考察して、ローマ帝国のように領土を拡大していくことではなく、さまざまな国との交易を通じた富の拡大が国家の繁栄をもたらすと説きました。実に慧眼です。で、これは個人が持つ知識に関しても同じことが言えるのではないかと個人的には感じています。

哲学者アルフレッド・ノース・ホワイトヘッドは、その存在を知っていますが、彼がどのような哲学的業績を残したのかはまったく私は知りません。にも関わらず、彼のテーマは私の『断片からの創造』に強く呼応している予感がします。本書はホワイトヘッドの思想の中でも、連続性ではなくむしろ断絶に焦点を当てた解釈になっているようです。

物理学者が語る科学の話はたいてい面白いですね。本書は、科学のレンズを通して見る世界の面白さが22のお話で語られています。「一日の長さは一年に0.000 017秒ずつ伸びている。500億年のちは、一日の長さは今の一月ほどになるだろう――」。実に不思議な感じでSF的ですね。

〜〜〜Q〜〜〜

さて、今週のQ(キュー)です。正解のない単なる問いかけなので、頭のウォーミングアップ代わりにでも考えてみてください。

Q. どんなWeb上の情報交流があったら楽しそうですか?

では、メルマガ本編をスタートしましょう。

今週も「考える」コンテンツをお楽しみくださいませ。

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2020/08/03 第512号の目次
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○「メモから浮かび上がるパターン」 #知的生産の技術

○「生活のリズムとそれを壊すもの」 #エッセイ

○「データベースから遠く離れて」 #知的生産エッセイ

○「デイリーにおけるテンプレートとは何か」 #タスク管理

※質問、ツッコミ、要望、etc.お待ちしております。

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○「メモから浮かび上がるパターン」 #知的生産の技術

前回は、蓄積したメモを読み返すことの意義を確認しました。

書き留めた過去に比べて、現在の自分の情報・知識ネットワークは成長しているので、昔のメモを読み返すことは、新たな価値づけを産む行為となる、といったお話でした。

さらに、過去に書いたメモの読み返しは、それを書いた時点の自分に戻ることではなく、今の時点からその着想を再評価すること(再びネットワークに取り込むこと)であり、それは誰かが書いた本を読むことに相当する、というお話もしました。

だったら、次のような疑問が思い浮かぶかもしれません。

過去に書いた自分のメモと本を読むことが同じなら、自分のメモじゃなくて、本を読んだ方がいいんじゃないか?

今回はこの点について考えてみます。

■浮かび上がる集合

非常に単純化して話を進めます。

アイデアが「A×B」によって生成されるとします。『アイデアのつくり方』で定義される「既存の要素の、異なる組み合わせ」のモデル化です。

書き留められる着想メモは、この「A×B」のバリエーションとして現れます。そして、書き留めたメモを読み返すと、これらのメモに一定の集合を仮設できることに気がつきます。

簡単な例を挙げれば、過去書き留めたメモを100件見返したら、そのうちにEvernoteの使い方に関するメモが15個見つかった、といった状況です。そうしたメモを引き抜き、一つの大きな袋(仮設された集合)に入れることが可能です。その操作が、PoICでいう再生産に当たります。何かしら大きなアウトプットを生み出すための準備です。

もちろん、「Evernoteの使い方」のようにはっきりわかる場合もあれば、そうでない場合もあります。よくよく観察してみればこれらはアレについて言及しているようなことだな、と感じる場合です。こういう発見は、既存のコンテンツには存在しない軸が生まれていることが多く、だからこそ、『知的生産の技術』ではカードをよくあるカテゴリーに分類するなと注意されています。新しい発見が抑制されてしまうからです。

よって、カードを並べ、ときに「くり」、虚心にそれらを眺めることが大切なわけです。

■浮かび上がるパターン

以上は、カード法に関する基本です。成果物を生み出すという目的からみたときに、書き留めたカードを読み返すことの重要性は、これで確認できます。

しかし、それだけではないのです。言い換えれば、単に成果物を生み出す以上の効果がそこにはあります。

たとえば、書き留めたメモを並べてみると、「A×ア」「B×イ」「C×ウ」といったメモが多く見つかるかもしれません。これらがバラバラな内容であっても、「アルファベット×カタカナ」の組み合わせで出来ている点は共通しています。つまり、「既存の要素の、異なる組み合わせ」の組み合わせ方に一定の傾向が見られるのです。

これは自分の発想の傾向、着想のパターンと言えるでしょう。

より大きい粒度においても同じです。自分が再生産した結果が、「Evernoteの使い方」「Scrapboxの使い方」「Roam Researchの使い方」であれば、明らかにパターンが感じられます。自分のアウトプットの傾向、方向性が見えてくるのです。

これは、大ざっぱに言えば「自分について」知ることであり、もう少し細かく言えば「自分の頭のはたらき方」について知ることです。自分が(自分の脳が)どんなやつかを知れるわけです。

こればかりは、他のどんな本を読んでも得られるものではありません。自分の着想を、つまり自分が頭をはたらかせた結果を見ることでしか、つかめないものです。

この点において、他の人の本を読むことと、自分のメモを見返すことには相違があります。それもずいぶん大きな相違があります。

■類出するパターン

長い間メモを残し続け、それらを振り返ってみると、きっと何度も登場するパターンが出てくるでしょう。まったく同じことを考えている、ということではなく、まったく同じ「仕方」で考えている、ということです。

そして、たびたび繰り返し登場するそのパターンは、あなたの思考の幹と呼べるものになりえます。ネットワーク的に言えばハブとなる存在です。

私たちの着想はまったくの等価ではありません。よく育つ着想もあれば、すぐに枯れてしまう着想もあります。それと同様に、時間をかけて念入りに探究すべき着想というのもあるのです。そして、それを見分ける手段が、何度も登場するパターンを捉まえることです。

私がよく使う言い方をするならば、「自分の仕方を理解する」ということです。

たとえば、私はよく「断片」や「有限化」についてよく思いつきます。「断片」や「有限化」という言葉を思いつくのではなく、それを何かで言い表すならば、この二つの言葉が適切である、という着想を思いつくのです。それがパターンです。

そのパターンを御旗に立て、さまざまな着想を再編していくこと。再編成しつづけていくこと。それが自分の思考・思想を育てることにつながっていくのでしょう。

■さいごに

今回のお話は、「自分の行動記録をつけていれば、自分の行動パターンが見えてくる」という話と基本的には相似です。行動記録が行動のパターンを浮かび上がらせるように、着想記録としてのメモは、着想のパターンを浮かび上がらせてくれるのです。

このメタなパターンの発見に関しては、自分の記録を残していくしかありません。他のどんな本を読んでも書いていないものです。また、自分の記憶も案外当てにならないことが多く、自分の先入観で自分の着想が限定されてしまっていることもあります。

メモは、着想を広げ、思想を育てていくための装置です。それは着想の蓄積であり、自分の頭のはたらきの記録でもあります。

情報が溢れる現代では、メモなんかとらなくても知的生産は行えるでしょう。結局のところ、知的生産の現場はそのときの自分の頭の中だからです。しかし、その現場を少しでも活気づけ、方向づける上でメモは役立ちます。

というわけで、メモについていろいろ書いてきました。次回は、私の最近のメモ環境について書いてみます。

(つづく)

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