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過去はコンプレックスではない。強みになる

過去に虐待を受け、今を強く生きている人たちを発信していくインタビューメディア「RASHISAストーリーズ」。第2回目は、仕事の傍ら、自らの経験を元に「虐待」や「子供の権利」をテーマとして講演活動なども実施する渡辺睦美さん。児童養護施設で育ったからこそ発せられる言葉、活動は見るものすべてを勇気づけます。

渡辺睦美(わたなべ・むつみ)| 1996年生まれ。東京都出身。4歳から里親家庭で育ち、その後一時保護を経験して児童養護施設へ。高校卒業後に大手旅行代理店に勤める。現在は、講演活動と並行してアドボケイトの活動準備中。
Twitter:@Re_Mutsumi

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4歳で乳児院から里親家庭へ

ーー社会的養護を受けていたとのことですが、いつからお世話になっていたのですか?

4歳10ヶ月の時に乳児院から里親家庭に措置されました。元々母子家庭で、いつも家にお母さんはいなかったことは良く覚えていますが、保護されたときのことはあんまり覚えていなくて...

ーーどのような背景があって保護されたのですか?

お母さんが解離性同一性障害という病気を持っていたんです。いわゆる多重人格ですね。母自身も、精神的虐待や心理的虐待、性的虐待など、虐待を受けていた過去があったそうです。その結果、お母さん自身に人格がいくつも生まれ、虐待をした時の人格は、その他の時には思い出せないみたいです。

——虐待されていたのは、お母さんの潜在意識なのかもしれませんね...

あるとき、私がお母さんによってお風呂に沈められているところを近隣の方に発見してもらい、保護されたそうです。それで私は里親家庭に、10個違いの兄は児童養護施設に行く事になりました。

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14歳で里親家庭から児童養護施設へ

ーーそれ以降はずっと里親家庭で育ったのですか?

いえ、14歳で里親家庭を出て児童養護施設に措置されました。私が不登校になったのが原因なんです。家庭環境が周りと違ったなどの理由でクラスに馴染めず、精神的に周りと合わなくて非行などもするようになりました。

ーーそんな過去があったんですね...。家庭環境の変化もあったのですか?

その里親家庭の方からも虐待を受けるようになりました。「あなたの親じゃないのに預かってあげているのよ。なのになんで良い子にできないの?」「なんでそんなに頭が悪いの?」などキツい言葉をかけられるように。そんなある日、ニュースを見ていると、「あれ、これって私の家庭おかしくない?」とふと思ったんです。そこからは、当時付き合っていた彼氏の家に泊まったり、友達の家に泊まったりと、家に帰らなくなりました。そして、里親が「私たちには面倒をみられない」と言って、里親家庭から児童養護施設へ措置変更された。という流れです。

——虐待されていた事は、先生は知っていたんですか?

先生は気づかなかったのか、見て見ぬふりなのか、おそらく知らなかったと思います。児童相談所に相談をしても動いてくれないと思ったので、先生を頼って腕のアザや引っ掻かれた箇所を見せながら相談したのですが、それでも信じてくれませんでした。また、先生が私の言動を里親に報告して、里親が私を攻撃する。この繰り返し。そのときは味方は誰もいませんでしたね。

複数の施設で見た「地獄」と「天国」

ーー八方塞がりな状態ですね…。そこから、どのように児童養護施設にたどり着いたんですか?

自分で児童相談所の福祉士さんや心理士さんに頼み込んで施設に行きました。その前にとある一時保護所に2週間ほどいたんですけど、地獄でした。軍隊みたいでしたね。着ている服を全部脱がされて、誰が着ていたか分からない下着を着せられて…。夏場に毎日3キロ走らされたりもしました。疲れさせて、早く寝させるためだけの理由で。

ーー 一方、児童養護施設ではどんな生活だったんですか?

天国でした!実は、里親家庭にいる時に私も精神的疾患を抱えていたんですよ。不安性障害という病気で人と話すのができないとか、夜も不安で寝られないとか。
ただ、施設に入ってからはかなり落ち着き、夜も眠れるようになりましたし、そもそも暴力もない。私の話をしっかりと聞いてくれるし最高でしたね。そこから独学で勉強をして、都立の高校に推薦で入学しました!

ーーすばらしい環境に出会えたんですね!高校生活はいかがでしたか?

行事とかが有名な学校で、行事が楽しくて楽しくて仕方がなかったですね。学校とバイトとバンドに力を入れました!それまで学校に行っていなかったのが信じられないくらいで。

ーーその中でも、今のご自身をつくっているエピソードはありますか?

例えば誰かを巻き込むことって社会でも大事だと思うんですけど、そういった能力は行事で培いました。

ーー詳しく教えてください。

例えば、ヤンキーであっても行事に巻き込み、みんなで一致団結するように働きかけました。色んなバックグラウンドを持っている人たちと関わるのが得意だったので、それを生かしての行動です。私自身が特殊な環境で育っているからこそ、色んな人に気持ちに寄り添えるのだと思っています。とにかく毎日が楽しかったです。

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辛いバックグラウンドもいつか長所になる

ーー大学には進学せずにそのまま就職したんですよね。

はい。「お金」の問題で進学するのが難しかったためです。

ーーなるほど。どのような就職活動でしたか?

勉強しながら働ける会社、ガンガン出世ができる会社、あとは社員を見てました。目標意識を持っている人が多い会社で働きたいと思っていましたから。

ーー面接ではどのようなことをお話ししたのですか?

私の生い立ちを話しました。社会的養護の元で育ったこと、今施設にいること、そういったことをすべて包み隠さず。おじいちゃん、おばあちゃん、お母さん、お父さん、先生など、どんな人も多くの大人と関わって生きていますが、それ以上に社会的養護の元で育った私は、里親家庭の親、施設の先生などもっと多くの大人と関わって生きてきました。なので、「他の子たちより洞察力や人を見る力はあります!」と面接では伝えましたね。

ーーたくましいですね。ちなみに、それが合格の決め手ですかね?

いえ、恐らく違います。会社見学の時に、私が先輩に「会社で目的意識持って働けていますか?」と聞いたですけど、採用担当はそこに惚れたらしいです。

ーーそれは採用担当からすると嬉しいですね!

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子どもの味方になる大人の存在の必要性を

ーー今は社会的養護出身という立場から講演活動などをされていますが、どんなキッカケだったのですか?

とある発表会に呼ばれたことです。そこでお話ししたのをキッカケに、取材や講演依頼が殺到するようになりました。実は、その発表会は、私が所属していた児童養護施設の元職員の先生に誘ってもらったんです。

ーー素敵な縁ですね!

はい!ただ、正確には自分への支援というより、「私たちの後輩の世代を支援できるように」という想いのほうが強いです。

ーー具体的にどんなことをお話しされているのか、少しだけ教えてください。

主に、二種類の発信をしています。虐待を受けている人たちと、そんな人を受け入れる人たちです。前者は、自立支援として「どのようにすれば自立できるか」「どのような形で就職ができるか」等について伝えています。たとえ虐待を受けてしまっていても、きっと「何かを頑張りたい」と思っているはずだし、それを自分で叶えられるように勇気づけたり具体的に行動指針を示したりしています。また、その過去をオープンにしたほうが色んな方が力を貸してくれるし、自分の強みに気付けるということも知ってほしいですね。

ーー力強い言葉ですね。後者についてはいかがでしょうか?

とにかく、「子どもの味方になる大人の存在の必要性」を伝えています。たとえば、里親さん向けの研修に登壇してお話ししているのですが、実は里親さんに虐待をされた人ってあんまりいないんですよね。大抵はいい関係で日々を過ごせるのですが、私の場合はそうじゃなかった。また、虐待を受けている子ども達は大人たちと意図せず対立してしまいがち。いい面と悪い面の両方を知っているので、「子どもの味方になってほしい」ということは声を大にして発信していきたいです。このテーマについては、私自身が20年くらい当事者で居続けていますから。

ーーすばらしい。周囲の反応は変わっていったのですか?

はい。実は、厚労省からお声がけいただき、講演をするという機会がありました。2017年に発信活動を始めたときは世間の関心はそれほど高くなかったのですが、地道に発信を続けたこと、さらに虐待が社会問題化していったことから、そういうご縁をいただけるように。「やってきたことは間違ってなかった」と思えた瞬間でした。

過去はコンプレックスではない。強みになる

ーー現在はどのような仕事をされているのでしょうか。

RASHISAで、キャリアアドバイザーとして働いています。虐待を受けた経験のある方を対象に、就職を支援するような仕事ですね。前職は旅行会社で勤めていて、キャリアアドバイザーなんてやったことがありませんでしたが、RASHISAがやろうとしていること、代表の岡本がやろうとしていることに共感し、参画を決めました。また、個人で活動してきたおかげで色んなパイプを作ることができたので、「私にしかできないことが必ずある」と思って日々取り組んでいます。

ーーこれまで色んな方とお話ししてきたと思うのですが、印象に残っている人などいれば教えてください。

キャリアアドバイザーとして初めてお話しした被虐待経験者の方ですが、高校卒業後に、特に意志もなく「就職かなー」と就職相談を受けたんですね。でも、よく聞いていくと、やりたいことが明確になって、「それを勉強したいので大学受験します!」と就職から大学進学に切り替える結果となりました。その人の希望を見出すことができ、嬉しかったですね。

ーーありがとうございます。では、これからのビジョンも聞かせてください。

社長になりたいです!社会的養護出身の人たちの自立の場を作れるような。たとえば、マンションを一棟買って彼ら彼女らに住んでもらうなど、やりたいことはたくさんあります。彼らが社会に出る時のステップアップとして、私の会社を使って欲しいですね。

ーーすばらしいですね!そんな渡辺さんから、この記事を読んでる方に対してメッセージをお願いします!

皆んな、「這い上がりたい」と思ったら絶対にできるはずです。自分の生い立ちがコンプレックスだと思っちゃうかもしれないんですけど、そんなこと思わなくていい。私も、虐待を受けて育ったからこそ、これだけ強く生きていられるんだと思います。だからその過去を悲観するんでなくて、これからの未来を楽しみに生きて欲しいです。そうすれば大人は助けてくれますし、もちろん私も助けます。過去は変えられないです、未来しか変えられません。一緒に頑張りましょう!

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取材・文/岡本 翔
撮影/安東佳介
編集/角田尭史

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