#呑みながら書きました きっとわたし達に足りんかったんはこういう時間なんや
今日はビールからのすだちハイボール。
先週の土曜日、呑みながら書きましたの当日にはぺろぺろで書こうとした結果、呑みすぎからの娘の夜泣き対応にてお布団に召される事態が発生。
マリーナちゃんがマリーナ酒場をnote酒場当日まで延期してくれると言ってくれたのでこうして遊びにこれた。嬉し。
ほんで今日書きたいのはまあアレや。
昨年末、わたしと夫の間に大きな亀裂が入る出来事があった。
それは結構心をズタズタに切り裂いていって、まあまあ深い傷がずっとあった。
それでも我が家にはちびっこふたりがいて、目の前には日々の生活というどうしてもやらねばならぬ事象が立ちはだかっていた。
傷からは怒りがじわじわと溢れ出してきて、それにちいさなふたりをさらすことは避けたくて、それにまみれている自分も辛くて、なんとかその傷に絆創膏を貼って修復しようとしながらやり過ごしてきた。
それでもその絆創膏はいつの間にか溢れ出るそれにジュクジュクになって、気付けばペロリと剥がれてしまい、そのたびに感情は爆発して、心身のバランスを崩すようなことを何度か繰り返した。
8月のある日、絆創膏が剥がれてまた傷がぱっくりと割れたのだけど、なぜだか修復する気持ちが失せてしまった。
もういいや。
そう思ってしばらく傷を放っておくことにした。夫とは一言もしゃべらない日が長く続いた。
途中傷はじくじくと膿んで、ああ、もうこのまま腐ってしまうんだろうかと思った。
だけどそのうちに乾いて、かさぶたが出来て、少しずつ少しずつ癒えていくのがわかった。
“怒り”の裏にあったのは“寂しさ”やった。
なんでそんな大事なこと、言ってくれへんかったんやろう。
なんで早い時期に、ひとこと相談してくれへんかったんやろう。
夫にとって辛い出来事やったやろうに、なんで一緒に背負わせてくれへんかったんやろう。
夫婦ってなんなんやろう。
『健やかやるときも病めるときも』そんな誓いは、言わされただけのカタチだけのものやったんやろうか。
夫の気持ちははかりようがない。
男のプライドみたいなものもあったかもしれへん。
でもねえ。
幸せを分かち合うように、辛いことも分かち合っていいんじゃない?
頼りない背中に見えるかもしれへんけど、わたしもちゃんと背負えるで?
わたしの傷が癒えていくのに呼応するように、夫の態度もだんだんと変わってきていた。
そして子の体調不良をきっかけに、また話すようになった。
子は鎹ってホンマ。うちの場合は。
それで、呑みながら書きましたのあの日、noteを言い訳に夫と呑んだ。
娘の授乳が先日ようやく終わりを迎えたところやったので、一緒に呑むのはまあずいぶんと久しぶりやった。
それで思ったんやけど、私たちに必要やったんはこういう時間やったんやなあって。
そもそもふたちの趣味って全然かぶってなくて、唯一って言っていいくらい、共通で楽しめるのはお酒(とそれにあうつまみ的なもの)。
シフト勤務で週に2日ペースで夜勤+趣味で友達と好きに出掛けていたわたしと、夫をつなげていたのは、一緒に晩酌する時間やった。
たぶん他人が聞いても「ハア。」ってなりそうな話を、お互いにうだうだとするその時間が、わたしたちを繋げる鎹になってたんやと思う。
子どもが生まれて以降、禁酒(ハアハア…)やったし、っていうか今思えばそれ自体がものすごいストレスで、それに加えて24時間まもりたい人がおるって、まあ大変やったし、いかんせん必死やった。
だからこそ夫婦で話合う時間がホンマは必要やったと思うんやけど、お酒のちからを借りてお互いにちょっととろけた状態で話せる機会が持てへんかったし、夫にも狭苦しい思いをさせてしまってたんかもしれへん。
でもさあ。
とりあえず言えることは、ひさびさのふたりでお酒呑む時間、楽しかったなあ。
長い時間かけたおかげか怒りに任せてじゃなくて、自分の気持ちも整理してゆっくりと伝えられたんや。
もう大丈夫かなあ。
またわたしたちは、わたしたちの夫婦のカタチを築いていけるかなあ。
今はまたそう思えている。
かこつける理由をくれてありがとう、マリーナちゃん。カエデさん。
ここまで読んでくれたあなたは神なのかな。