見出し画像

イスラエル・パレスチナ紛争を紐解く 前編

 中東で起こっているイスラエルとパレスチナの紛争。当事者でない日本人のわたしたちには、「いったい何が起きているの?」「どうして殺しあうの?」などの疑問が次々に浮かぶ。両者のあいだで、唐突に始まった戦争のように見えるが、実は根が深い問題なのである。


 きっかけはイスラエル・ガザ地区を実効支配するイスラム主義組織「ハマス」が今月7日、宣戦布告なしにイスラエルをミサイル攻撃したことに始まる。急襲を受けたイスラエル軍もこれに応酬、特にイスラエル軍がパレスチナ自治区・ガザを空爆したことにより、民衆が難民化した。18日現在、100万人にも上るガザの民衆が家を追われ、イスラエル軍による本格的な地上作戦が迫るなか、人道危機は厳しさを増している。


 どうしてこんな状況になっているのか。元をたどれば、両者の関係は紀元前にさかのぼる。当時ユダヤ人(イスラエル民族)は王国を作り、そこにはユダヤ人もアラブ人(パレスチナ人)も共存していた。その後、王国の崩壊とともにユダヤ人は迫害され、紀元1世紀にローマ帝国の属州となったあと、キリスト殺しの汚名を着せられ、大離散(ディアスポラ)した。


 時代は下り、第一次世界大戦中にイギリスの外相・バルフォアが、ユダヤ人の議員・ロスチャイルドに戦費を調達してもらう代わりに、パレスチナにユダヤ人国家建設を約束した(バルフォア宣言)。一方で、イギリス政府はオスマン・トルコ帝国の支配下にあったアラブ人の独立を約束(フサイン=マクマホン協定)、さらに英仏露でパレスチナ分割をもくろむ秘密協定(サイクス=ピコ協定)も交わしていた。イギリスの、この三枚舌外交が、現在に至るパレスチナ問題の遠因になっていると言われる。


 第二次世界大戦中に、ナチス・ドイツからホロコースト(大虐殺)を受けたユダヤ人は、世論の追い風に乗って1948年、念願のイスラエル国を建国。それまでパレスチナに住んでいたアラブ人にとっては寝耳に水で、第一次中東戦争が勃発、イスラエルは圧倒的な軍事力で周辺のアラブ諸国に勝利し、領土を拡大した。1973年の第四次中東戦争を最後に沈静化していたが、今月に入ってから半世紀ぶりに戦火を交えている。
 

 以下、後編

哲ちゃん


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?