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本当の自分はひとつではない。「分人主義」から子育てを想う。

「中心に一つだけ本当の自分があるのではなく、色々な自分がすべて本当の自分」。

この考え方は、『日蝕』や『マチネの終わりに』等の著書の平野 啓一郎さんによる考え方で「分人主義」と呼ばれています。

本当の自分は何なのかを探してしまったり、自分の好きではない自分が自分の中心にいて、それ以外のものは偽りのように感じてしまったり。そんな時にこの考え方に出会って、私は救われました。

それでも、やっぱり中心に一つの自分がいる気がしてしまって捉われそうになる時があって、それを奮い立たせるために、書いてみようと思います。

分人主義とは

分人主義の公式ホームページから引用すると、このように書いてあります。

「分人dividual」とは、「個人individual」に代わる新しい人間のモデルとして提唱された概念です。

「個人」は、分割することの出来ない一人の人間であり、その中心には、たった一つの「本当の自分」が存在し、さまざまな仮面(ペルソナ)を使い分けて、社会生活を営むものと考えられています。
これに対し、「分人」は、対人関係ごと、環境ごとに分化した、異なる人格のことです。中心に一つだけ「本当の自分」を認めるのではなく、それら複数の人格すべてを「本当の自分」だと捉えます。この考え方を「分人主義」と呼びます。

職場や職場、家庭でそれぞれの人間関係があり、ソーシャル・メディアのアカウントを持ち、背景の異なる様々な人に触れ、国内外を移動する私たちは、今日、幾つもの「分人」を生きています。

自分自身を、更には自分と他者との関係を、「分人主義」という観点から見つめ直すことで、自分を全肯定する難しさ、全否定してしまう苦しさから解放され、複雑化する先行き不透明な社会を生きるための具体的な足場を築くことが出来ます。

「分人主義」から、「私とは何か」を考えてみましょう。

「分人主義 OFFICIAL SITE」https://dividualism.k-hirano.com/

一緒にいる相手によって、環境によって、何をやっている時かによって、色んな自分がいる。その全部が本当の自分。その一つひとつを分人と呼ぶ。
好きな分人がいたり、好きではない分人もいる。そんな時は、好きではない分人の比率を下げて、好きな分人の比率をあげていく。シンプルにそれだけでOK。環境を変えたり、一緒にいる人を変えたり、やることを変えたりして、自分が好きと思える状況を増やしていけばいい。そう思うと、救われるものがあります。

子育てに想う

子育てをしていて、怒ってしまう自分がいて、それに対して悪戦苦闘しています。私の自我と子どもの自我のぶつかりあい。そんな言い方をしなくても良かったのに、きつい言い方をしてしまって後で申し訳なく思う。そんな時の私のイメージはついこうなってしまいます。

中心に怒っている自分がいて、子どもと楽しくしている自分はその外側にあるもの。

でも、子どもを想う気持ちはいつも持っているし、小さかったころの写真や動画を見返してみたら、ものすごく楽しそうにしている。これが偽りなわけがない。これも真実でないはずがない。だから、このイメージを持ちたいのです。

楽しい時も、怒ってしまう時もどっちも真実。その比率を少しずつ変えていけばいい。

このところ、色々あって、この黒い点を減らそうと強く決意して行動しています。それはそれで頑張る。一方で、白い時間のことも信じる。ひとつずつ、ひとつずつ。黒がゼロにならなくても、0か10かの世界じゃなくて、いつかこんなイロトリドリの時間になるといいなと思いながら。

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