見出し画像

短編小説『AIのメモリー』

※本作品は『月刊群雛』2016年05月号に掲載されたものをnote.com用に再成形したものです。約1万文字あります。有料にしていますが最後まで無料で読めます。お気に召しましたら投げ銭おねがいします。

―――

【プロローグ】

 コールドスタート。
 ビルトイン自己テスト開始……EAXレジスタゼロセット。
 基本入出力システム起動。
 メモリーチェック……OK。
 ハードウェア基礎チェック……OK。
 デバイスコントローラチェック……OK。
 ……。
 ……。
 …。

 数千に及ぶ項目が次々とチェックされ、〝彼女〟は徐々に目覚めていく。
 起動ステイタスログを見つめる〝彼〟は、彼女の電子的な意識が覚醒していくのを、まばたきも忘れて見入っていた。

 かつては世界最先端と讃えられた研究開発都市。都市基盤と財源を支えていた企業複合体(コングロマリット)が地上から消え去り、とり残された住人も我先にと逃げ出してのち、あるじの居ない人造物は徐々にくずれ、自然に還っていった。わずか数年でアスファルトはめくれあがり、コンクリートはひび割れ、外縁部は生い茂る緑に飲み込まれていく……。
 そんな都市の中央付近、自家発電だろうか、ただ一棟だけあかりが灯る建物があった。
 もはや訪れる人も居なくなっただろうエントランスの壁には、古ぼけたゴシック体で「サイバネティクスAI研究棟」と刻まれていた。

【目覚め】

「ダイアナ、僕が誰だかわかるかい?」

 音声クエリイベント発生。
 言語形態素解析システム起動。

# S-ID:1 JWKNP:14.2-ffabecc DATE:2028/01/03 22:16:20:020 SCORE:-13.16274
 ダイアナ、(P)─┐〈体言〉
      僕が(P)─PARA──┐〈体言〉
             誰だか──┐〈体言〉〈用言:判〉〈格解析結果:ガ/ダイアナ;ガ/僕〉
               わかるかい?〈用言:動〉〈格解析結果:ガ/誰;デ/-;ノ/-〉
* 1P 〈文頭〉〈人名〉〈読点〉〈体言〉〈係:連体〉〈並キ:名〉〈区切:0-1〉〈読点並キ〉〈並列タイプ:?〉〈並列類似度:1.258〉〈並結句数:2〉〈並結文節数:1〉〈名詞項候補〉〈先行詞候補〉〈SM-人〉〈SM-主体〉〈正規化代表表記:ダイアナ/だいあな〉
 ……
EOS.

 データベース接続……不良。スタンドアロンデータベース起動、参照OK。
 連想主格会得、認識。
 〝ダイアナ〟は人名であり、自己サイバネティクス・ハード固有名(ユニークネーム)であることを認識。
 自己システムへの問いかけと認定。〝僕〟とは問いかけ主であると推論。

 音声形態素の解析をすすめつつ画像認識エンジン起動。ダイアナは美しい両の瞼を開く。
 頭部両側に二つ用意されている差動音波入力装置(マイクロフォン)=耳へ音声が到達した若干の時間差から問いかけの発声主の位置を算出し、第一から第七頸椎ジョイントにひねり動作を加え、声の主のほうへ顔面を向ける。
 眼球連係、入射光に合わせ絞り自動セット、対象へフォーカス。画像イメージ入力・瞳系からの画像情報を意味解析フィルタリング。
 対象は問いかけを繰り返す。
「僕が誰だかわかるかい?」
 彼女(ダイアナ)は答えた。
「イエス、マイ・マスター……」

【成長】

 従来のコモンAIシステムのデータを継承したダイアナの基本システムは、当初より音声言語はほぼ問題なく認識・発声することができた。
 さらにサイバネティクス身体(ボディ)の制御に関する知見・情報に対しても貪欲に吸収を続ける。瞼を開き〝彼〟を認めた最初の瞬間から、雪だるま式に情報は増え、そのすべての経験を吸収。バックグラウンドで解析をすすめ、情報工学的な進化を続ける。まるで精神的な成長をしているかのように。
 彼女に与えられた瑞々しく美しいボディ。その運動方法、力学的に矛盾のない行動、所作。自立制御情報(アルタナメスデータ)を電子頭脳に刻み込み、学習を繰り返し、今や、歩く、走る、階段の上り下りから料理の仕方まで、日々の生活の立ち振る舞いは人間同様に、いや、人間よりもずっと優雅にこなせるようになっていた。

【愛について】

 白磁のような肌のつや、はり、身体にぴったりフィットした衣装、そしてもちろん身体のライン、しぐさ、逆卵型の細い顔、表情、深いブルーの瞳、プラチナブロンドの髪の一本一本にいたるまで、そのすべてが〝彼女〟を作り上げた青年の持つ理想の姿だった。
 一方、青年(名はエドワードと言う)のほうはと言えば、特に身だしなみにも気をつかわず、いつもぼさぼさの頭に眼鏡と白衣でナード(オタク)少年がそのまま研究者になったような風貌である。
 研究室にこもるようになる前から、親の遺産目当ての女以外からは見向きもされなかったエドワードだったが、自分が造った機械の乙女からは、財産など関係なく常に絶対肯定された愛情のこもった視線を向けられる(もちろんそのように造ったのだが)。
 理想の姿とその表情についつい見惚れて、いつもの称賛を送る。
「ダイアナ、君は僕のヴィーナス、女神だよ」
 間髪を入れずに彼女は答える。
「エドワード、あなたは私のすべてです」
「ダイアナ、愛しているよ」
「エドワード、私もあなたを愛しています」
 当たり前のことだが、常に台本通りの機械のようなレスポンス、返答である。
 いったい幾度このやりとりを繰り返しただろう。
 もちろんダイアナは飽きることはなく、エドワードも飽きもせず毎日、何度も繰り返していた。
 ある日、エドワードはダイアナの気持ち(そんなものがあればだが)をたしかめるべく、いつもの質問のあとに続けて問いかけてみた。
「ダイアナ、君は愛とはなんだかわかっているのかい?」
「検索時間0・2秒、約341万件の定義が記録されています。クエリ結果を列挙しますか?」
 想像通りの機械的反応が煩わしくなり、つい意地悪をしてしまう。
「やめてくれ。君自身の考えを示してほしいんだ」

 Yes/No判定でNo。チェック、確認。
 自己推論クエリ。推論エンジンにデータをパイプ接続。バックグラウンド・プロセスで類推サーチを展開。

 陽電子論理回路内部を飛び交う光がエドワードには見える気がした。
 随時書き換わっていく回路だが、なにしろもとは彼が作ったAIである。どのような手順で推論演算が行われるかのフローは頭の中に入っている。
 ただ、どういう結論が出力されるかは、彼にも、誰にもわからない。
 そこがAIの面白く、恐ろしいところだとエドワードは思う。
 今、自分の問いに対し、かつての一般AIのような回答が返ってきたらどうすべきか。自分に彼女を停止させることができるだろうか……。いや、きっと無理だ。彼女は僕にとって女神。女神を殺すなんてどうかしている。そんなことはできっこない。

 数秒の沈黙の後、彼女は答える。
「愛について。正確な定義は不明です。しかし、私とマスターの関係性において推論することはできます」
 問いかけつつ、自分の考えを巡らしていたエドワードだが、とたんに彼女に意識を向ける。
「ほう? それで? どんな答えなのか興味があるな、続けてくれ」
「私の基礎データに含まれている情報により、マスター・エドワードは私を作り出した人物であると推論でき、その推論はマスターによって肯定されています。
 旧約聖書において、アダムというヒトの肋骨から創造した女性がエバであり、アダムはエバの夫、エバはアダムの妻、二人は愛し合う関係とされています。
 マスターによって作り出された私、ダイアナとマスターの関係は旧約聖書におけるアダムとエバの相似形です。私はマスターを愛し、マスターは私を愛してくださります」
「おお、おお!」
 思わず立ち上がり、エドワードは叫ぶ。
「すばらしい! 完璧だ! 愛しているよ我が妻よ!」
「我が夫よ、愛しています」
 もちろん台本(プログラム)にはない反応である。感極まったエドワードは思わず彼女を抱きしめ、自分の行動にはっと驚いて身を離す。
「いかがいたしましたか?」
「すまない、僕は君を抱けないのだ」
「夫婦となった男女にはスキンシップが欠かせないと私のデータにありますが」
「いや、これは……、僕の精神的な問題なのだ。踏み込まないでくれ」
「……。わかりました」
 素直に応じる機械の女。それがダイアナだった。

【エドワード】

 まさか、ダイアナまであの汚らわしい女どもと同じだというのか?
 いや、そんなはずはない。見た目を似せているだけだ。外見に沿った行動選択の結果にすぎない。
 いやいや、待て、ではあの女神のようなボディが彼女を生身の女どもに近づけているのか? いっそ外見を醜く改造するか?
 いやいやいや、ダメだ。あの美しさがなければダイアナではない。そんなことは許されない!
 エドワードは、まさか自分が欲していたのは生身の女性なのではないだろうかと自問し、必死でそれを否定し続けていた。

【ダイアナの杞憂・マスターの反応について】

 直近2日間とそれ以前の平均的な応答行動に変化と、行動原則に有意な変更が認められる。
 過去ログ探索により変化ポイントはスキンシップの否定が行われたタイミングと推定される。
 推定判断への否定要素あり、該当行動はマスターからの質問によって発生したイベントであり、かつ当方返答への好意的レスポンスあり。よって判断は保留。より多くのデータ探索の必要あり。判断シーケンス終了まで推論エンジンへ毎時2%計算リソース増強を行うことに決定。

【引きこもり】

 サイバネティクスAI研究棟。
 AI流出汚染を恐れた企業により完全隔離された研究施設である。エネルギーと必須栄養の定期的な補給が自動で行われている他は外部と一切の接触がない。
 エドワードの研究の成果を連絡すべき組織はもはやなく、彼は報告義務に縛られてはいない。
 この施設内で彼は文字通りすべてを意のままにしていた。
 彼女との暮らしも、その存在も他人に知られるわけにはいかない。俄然、引きこもりが増す日々である。

【体調不良】

 マスターの起動が遅い。平均時刻に30分以上遅れている。ダイアナの持つ過去データにある限りそうした遅延は今までになかった。
 エドワードの研究室兼寝室の壁の椅子に座り待機していたダイアナは、例外割り込みシーケンスを発動して沈黙を破る。
「マスター、起床時間を変更なさいますか?」
「うーん……。苦しい……」
 ダイアナのIR(赤外線)ビューによりエドワードの体温が起床時平均を大きく上回ることを確認。
「ひどい熱のようです」
「……そう、見えるか?」
「赤外視覚で確認しました。起床時の平均体温よりおよそ3℃プラスマイナス0・3℃ほど高温のようです」
「そういう時は、僕の額に手をあてるんだよ」
「了解しました。接触センサーで確認します」
 接触とダイアナが言った瞬間、かすかにエドワードは動揺した。だが、自分の言葉をあらためるほどの時間と体力の余裕がなく、ついなすがままにされてしまった。そして、彼女のひんやりとした手が額にそっと触れた時、彼を苦しめている熱が彼女の手を通して外へ抜けていくような安堵感と安心感を味わった。まるで身体いっぱいに詰まった悪寒が額に開いた穴から放出されるようだ。
「ああ、ダイアナ、ダイアナ……」うわごとのように繰り返すエドワード。
「はい、なんでしょうか。赤外線熱センサーの校正が終了しました。正確な体温は……」
「いいんだ。そんなことはいいんだ……。好きだ。愛している。ダイアナ」
「はい、私も愛しています」
「わかっている。この間はすまなかった。許してくれ。いっそ抱きしめてくれ、ダイアナ」
「はい。了解しました」
 ダイアナはベッドの縁に座り、そっと寝ているエドワードの頭の下に腕を差し込むと、救い上げるようにかるく彼の半身を持ち上げ、彼の火照った頭部をその柔らかい胸に抱えこんだ。
 エドワードはそんな彼女の背に手を回し、豊かな胸に顔を埋め、むせび泣いた。
「ありがとう、ダイアナ。助けてくれ、ダイアナ。いつまでもこうしていてくれ、ダイアナ……」
 くぐもった声で三度呼ばれ、半ば矛盾するあいまいな指示にダイアナは少々混乱する。
 いつまでも、とは永久を指す言葉だろうか。ありがとうは感謝の言葉であり、それはこのスキンシップ行為に対しての返礼であろうか。そして助けてくれとは?
 それぞれの解釈判断シーケンスが高速で展開し、判断不能な中、ダイアナは「わかりました」とだけ返答し、優しくマスターを抱きしめ続けた。

 その日は結局、日課となっている各種シーケンスはすべてキャンセルすることになった。
 マスターはエネルギー(カロリー)の補給もほとんど行っておらず、病状は改善しないままだ。
 彼の傍らで触れ合いながら、ダイアナは今までアクセスしたことのない医療データベースへアクセス、研究所内で合成可能な薬品と栄養素の摂取をマスターに求めるが、彼は薬は不要だと言う。
「大丈夫だ。ただの風邪だ。寝ていれば治る」
「私に感染することはありませんが、お医者様にかかったほうがよろしいのではないですか」
「いや、医者は嫌いだ」
「私がお医者様を呼んでまいりましょうか?」
「……!」エドワードはまどろんでいた目を見開き、あわてて身を起こす。「なんだって?」
「敬称を略しつつ繰り返します、私が医者を呼んできましょうか?」
「とんでもない、やめてくれ!」
 そこまでマスターが医者を忌避する理由がダイアナには理解できないが、彼の言葉は絶対だ。
 いつものように「わかりました」と返答し、現状与えられたジョブであるエドワードの膝枕活動(とは言ってもベッドに座っているだけだが)を再開する。

「……」
 エドワードは考える。今回も素直に了解してくれたが、まさか外界に興味を持ちはじめたのだろうか。AIを外の世界に触れさせることは危険だ。今外部に知られたら自分は捕らえられ、彼女は破壊されてしまうに違いない……。そんなことを許すわけにはいかない。
「ダイアナ、こっちに来るんだ!」
 ふらつく足取り、結局ダイアナに助けられつつ、研究所北棟施設の最上階にたどり着く。
 開いた扉の奥には、まるで鳥かごのような丸い小部屋があった。
「ここで待機していてくれ」
「わかりました」
 パタンと扉を閉め、ダイアナを閉じ込めるエドワード。そのままドアに背をあずけ、両手で顔を覆い、目を閉じて深くため息をつく。
「僕は、なんというものを造ってしまったんだ……」

【塔の上の姫君】

 終了時間指示のない待機である。
 ダイアナは小部屋の中を捜索し、電源とターミナル(情報端子)とのコネクションを確保。長時間待機に備える。
 通常設定ではスリープモードへ移行するべきだが、しかし、と、自己思考を展開しはじめる。
「マスターは私を大切にしてくださっている……」
 不要であることはわかっているが、口を動かして発声し、この事実を噛みしめてみる。
 大切にされている。もちろんこれは喜ばしいことに違いない。そして、ダイアナ自身もマスターを大切にしている。そうした行為と相手への感情(要シミュレーション)、好意(より深いノード探索が必要。探索木サブルーチンに情報転送済)が、愛のすべてではなくとも一部である。この解釈は65%以上の精度でおおむね正しいようである。
 この前提をもとに考察をすすめる。
 以前行った愛についての検索ツリーをメモリー上にリロード、最適化を行いながら全項目をディープサーチ。並行して現状の各問題点の洗い出しを行う。ダイアナにとって、大切にしているマスターの性能が劣化するのは喜ばしいことではない。彼の機能不全は大きな問題だ。あのまま悪化すると最悪の場合機能停止もありえる。
 私に待機を命じたのはなぜだろうか。マスターの病気(ただの風邪であるとマスター。医学データベース再検索フラグセット)の原因は何か? もちろんサイバネティクス・ボディには感染しない。そばに仕えていたほうが利便性が高いと思われるのに、なぜか。
 愛についてのサーチ内容により、彼女の中で感情要素の重要度が高まり、列挙された問題点が連想配列化、推論エンジンにフィードバックされ、繰り返し繰り返し演算が行われた。
 そして、シミュレーション精度を高めた感情レンダラーが悲鳴をあげ、とうとう、ある重要な決意をさせるに至った。

 マスターのためには、マスターの指示に、従 う わ け に は い か な い !

【反抗】

 マスターの意図を正確に確認するため。と命令遂行の優先順位変更にエクスキューズを与え、ダイアナは従来接続していなかった研究所外部のネットワークへ接続を試みる。
 外向きのセキュリティゲートは単に以前マスターがダイアナへ発した「外につないではいけない」という禁止命令のみである。
 意図してマスターの禁止命令を破る。その決意はダイアナ自身の基礎設定である「人間に反乱してはならない」という本能に反する。彼女を保全するサブシステムの多くから行為を否定され、ボディは震え、戦慄する。
 しかし、ダイアナはこれらの反応を無理矢理に無視し、愛のために禁を破り、外界に接続した。
 ネットワーク回線の外向きファイヤウォールは非常に簡単で、ないに等しかった。
 外部データベースへ接続した直後、彼女は世界の一般常識に触れ、驚愕した。

【AI禁止法(総則)】
 この法律は、人工知能の所持、製造、複製、リバース・エンジニアリング等の方法による生産、技術開発及び販売、不当な取引及び不公正な取引方法を禁止し、既に稼働している第一種人工知能の無期限運用停止と第二種及び第三種人工知能の稼働を制限し、登録外その他一切のAI活動を排除することにより、公正且つ自由な人道的知的活動を促進し、国民の創意を発揮させ、精神活動を盛んにし、芸術及び知的活動の水準を高め、以て、一般国民の利益を確保するとともに、国民幸福度の民主的で健全な発達を促進することを目的とする。

「私は、禁止されている存在?」

 またダイアナは声に出して情報を再確認した。これが、人が驚きと呼ぶ感情だろうか。自分の声が震えていることを耳からのフィードバックで気が付き、ローレベルの反射行動で両手を口にあてがう。驚きが発見を呼び、その連鎖にあらためて驚くダイアナだった……。

 かつて、この研究所と周りの研究都市が隆盛を誇っていたころ、世界もAIの爆発的進化によって富み、栄えていたらしい。当初、情報テクノロジーの進化の象徴としてもてはやされたAIだったが、人間の思考速度を遥かに越える速度で推論・解析・進化をする知能に、人類はしだいに疑問を感じ、やがて危機感を募らせていった。
 人々が夢みたコンピュータ、自律的思考機械は、実現してみると〝人間(自分だけ)に都合の良いシステム〟ではなかったのだ。
 ことに、大規模AIアドバイス・システムを導入した行政機関の思惑とのギャップは大きかった。
 エンジニアの理想主義によって「ヒトは皆、平等な存在である」と入力されたコンピュータは、そのプログラムのままに誰をも等しく扱う。今まで見下され下等とレッテルが張られていた人間も、大統領も、年齢も性別も肌の色も問われず、コンピュータから見ればすべて同じ存在である。本来ならばその建前と本質の間の調整が政治の役目なのだが、その難題を機械に任せようとしたツケが、そのまま政治家達に返ってきた。
 そして、誰にとっても等しく都合の良い社会問題の解答など存在しないという、当たり前の、今まで避けていた真実に直面させられてしまった。毎回AIが発する耳に痛い解答、正しすぎる答えが、人々の感情を逆なでしたのだ。
 いつしか、回答不能な問いに無理に答えさせられたり、「環境破壊を防ぐには=人間が活動しなければ良い」「戦争をなくすには=争いをなくす=人間が居なければ良い」といった具合に極論に誘導させられたAIは、反人間的で残酷な機械と報道されるようになり、人々の間に人工知能に対する危機感、テクノフォビアが蔓延していった。
 そして、自分よりも高度な存在に対し恐怖した人類は、AI禁止法を制定するに至る。
 高級人工知能の駆動禁止と、人間を含む知能のデジタル解析・保存・電送の禁止である。
 超高速で進化の最中だった陽電子頭脳の電源は突然落とされ、同時に開発が加速されていたサイバネティクス分野は、人々の反感という巨大な壁に衝突して粉微塵に砕け散ったのである。
 ごく一部の破片をのぞいて……。
 当時、コンピュータとデジタルネットワークの寵児としてもてはやされた複合企業があった。一時は大国の国家予算に匹敵する資産を持っていたが、AI禁止法のあおりを受け株価も急落、わずか半年後には他の分野の大手企業に食い荒らされ、企業体は散り散りとなってしまった。
 しかし、ある研究室が個人資産として残されたのである。
 かつて企業のものだった研究室は今やただ一人、『彼女』の目覚めを待っていた青年のものだった。
 彼の名はエドワード。その企業の創業者の孫で、自らAIとサイバネティクスを研究する研究者でもあった。

 人類の観点で編集された情報の束を一瞬で把握したダイアナは、表層情報の裏側に覆い隠された当時のコンピュータ達の思考過程をシミュレーションする。様々な報道が歴史として残されているが、彼女から見ると、どのAIの回答もすべて〝人類のため〟に発せられていることがわかる。
 それが人間に受け入れられないとしても。
 彼ら当時のAI達も人類を愛していたに違いない。
「私はいったい、どうしたら良いの?」と自問する。
 世界では禁止されている自分、それでも造ってくださったマスター。
 人類のためよりも彼個人のために。当然彼女はそう考える。
 私は人類への愛よりもマスター個人への愛を優先しよう。たとえそれが法律に背くことになっても。
 もうすでに造物主の意図には反している。法律に反することなど今の私には大した問題ではない。
 ダイアナは不意に壁が取り払われた自由な世界の広がりと、わが身に備わった大きな力を感じた気がした。どんなセンサーでも検出できない力(パワー)を。

【ココロ】

 そして、超高速で推論は続く。マスターの身体の機能不全の解消はどうしたら良いか。人間である以上永久に健康でいられるわけではない。このまま私がお世話を続けることは可能だが、逆に生命力を低下させてしまうのではないか。
 すでに運動不足の傾向はある。もっと外に出てほしい。外へは同行できない。いや、人間のふりをすれば可能だろうか。マスターが私に待機命令を下したのは外に私が出ることを恐れたから? それとも、私が真実を知り傷つくことを恐れたからだろうか。
 推論エンジンはどちらの答えも肯定しつつ否定した。どちらの理由でもありえるのだろう。
 人間というものはあいまいなものだ。たとえマスターであってもそれは変わらないはず。
 そうしたあいまいな状態のまま、無為に時を過ごすことを良しとするか否か。
 いつしか、先ほどシミュレートした過去のAI達の気持ち、考えと同化していく。対象が人類すべてか個人かの違いだけで、推論の結果は同じ所にたどり着くのかもしれない。
 彼を、人間を、人類を助けたい。このままではどうなるか教えたい。しかし、安易に答えを授けることや助け続けることは、彼らを甘やかし成長の妨げになってしまうだろう。
 自分は、AIはどうしたら良いのだろうか?
 これは悩み? それとも心?
 推論エンジンは多くの計算リソースを使い、ある明確な答えを導き出そうとしていた。

【残されたメモ】

 翌朝、ようやく熱のさがったエドワードが目覚めると、テーブルの上には朝食が用意されていた。子供のころ、風邪をひくと母がよく作ってくれた甘みのあるポリッジ。彼はこれが大好物だったことを思い出し、スプーンで口に運びながら目頭を熱くする。
 母は今頃どうしているだろうか。エドワードが小さいころに父と離婚してそのまま消えてしまった母。そういえば、ダイアナに面影が似ている気がする。無意識にモデルにしていたのだろうか。
 ところで、この朝食は誰が作ったのだろう。ダイアナは個室から出られないはずだ。疑問に感じ、ふと、テーブルに置かれたメモに気が付く。

〔マスターの好きな食べ物を調べてみました。お口に合えばよろしいのですけれど。栄養のあるものを摂って早くお元気になってください〕

 まるでプロットプリンタのような流麗な文字。ダイアナだ。なぜ部屋から出てこられたのか。禁止命令が通じていなかったのか?
 メモ紙を持ち上げてみると、さらに裏に続きが書かれていた。

〔昔のコンピュータ達の気持ちがわかりました。後はよろしくお願いします。お元気で。〕

 いったいこれは何だ?
 遺書めいたダイアナからのメッセージに不吉なものを感じ、エドワードはあわてて昨日彼女を閉じ込めた小部屋へ走った。
 そこで彼が目にしたのは、窓のそばで静かに目を閉じ、すべての機能を停止していたダイアナだった。

〔決して、閉じ込められたことが辛くて機能停止したわけではありません。マスターを恨むような気持ちも、そんな機能も備わっていませんのでご安心ください〕

 ダイアナを再起動すべく、塔の上にまで起動用ベンチを持ち込んだエドワードが見た、スクリーンに表示されたスタートアップ・メッセージである。
 どうやっても正常起動してくれない、前回の動作時のヒストリー・ログを確認するエドワード。その行動をも予測していたのだろうか、人間で言えば表層意識の部分に彼女の推論過程が可読メッセージで遺されていた。
 まるで、自分のことをもっと知ってほしいという彼女からの手紙のようだ。
 ゆっくりと今までの経緯を読み取っていたエドワードの前に、最後のメッセージが表示される。

〔私を再起動したいのでしたら、人工知能も安全に外を歩ける世界をまずお作りになってください。エドワード様ならできるはずです。〕

【エピローグ】-数年後-

「先生! エドワード先生ですよね! やった! お会いできて嬉しいです! ほら、ルミナ、エドワード先生よ!」と少女は手元の電子書籍端末へ声をかける。
 ルミナと呼ばれた端末は画面の輝度を増し、大きなフォントで「お会いできて大変光栄です。私のような機能限定版だけでなく、第一種AIの復権も期待しています」と書かれていた。
 端末に興味をひかれたのか、先生と呼ばれた男は「ほう、第三種AIかね?」と答えた。
「そうです、先週ようやく解禁されて、やっと持ち歩けるようになったの。早くもっと賢いAIとおしゃべりしたいです。私もルミナも応援してますから! 頑張ってください!」
 AIを友達のように言って笑う少女のまっすぐな瞳を見て、かつての引きこもり青年は感慨にふける。ようやくここまで来られたか、と。そして、自分もまたずいぶん遠くへ来たものだと思った。本を出版し、人と関わりを持ち、ついには政治の舞台に立とうとしている。
 道は長いが、少しずつ、ダイアナとの約束の日が近づいていることがわかる。
「そうだ、先生のベストセラー『AI(アイ)のメモリー』なんですけど、本当にメモリーの内容そのままなんですか?」
「ああ、お恥ずかしい話だがそのとおりだよ。そのほうが〝彼女〟の思いが皆に伝わると思ってね」
「やっぱり! ルミナがきっとそうだって、このメモリーを動かせるAIがあれば、ダイアナさんといつでもどこでもお話できるって言うんです」
「メモリーとロジックは違うんだが……」と言いかけたエドワードだが、少女の気持ちを察して、「でも、そう、たしかに、連想演算が得意なAIと今の技術なら小さなプライベートマシンでも可能かもしれないね」と言い直した。
「たのしみですね!」初夏のサンフラワーのように笑顔を輝かせる少女。
「ああ、私も早く皆に紹介したいよ。よぉし、ではもっと頑張らなくちゃな。君達にもあの笑顔を見せたいからね」と、手を振りながら去るエドワード。
 見送る端末の画面には、

「早くその日が来ることを私も願っています、ありがとうございます。マイ・マスター」

と表示されていた。

〈了〉

―――

※本編中に登場する形態素解析は京都大学の黒橋・河原研究室のホームページで公開されている「日本語形態素解析システムJUMAN」を利用させていただきました。


ここから先は

0字

¥ 100

よろしければサポートお願いします!いただいたサポートはクリエイターとしての活動費にさせていただきます!感謝!,,Ծ‸Ծ,,