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『技術革新と不平等の1000年史』レビュー

上下巻表紙

『技術革新と不平等の1000年史』
(上/下)

ダロン・アセモグル (著), サイモン・ジョンソン (著)
鬼澤 忍 (翻訳), 塩原 通緒 (翻訳)

📚

なかなか読み応えのある本でした。
なので長文です。レビューといいつつ感想文的な雑文です。さらに最後のところは自分用のメモなので、あえて有料化して隠しておきます。(見なくても大丈夫です。ていうか気になったらぜひ本書を読んでくださいませw)


まずは故事から

ラッダイト運動という言葉があります。産業革命の初期、蒸気機関の登場でいままで手作業で行っていた作業を機械が代行するようになり、機械に自分たちの仕事が奪われると考えた織工の集団が機械を打ち壊す運動をはじめた。というやつです。
これは、テクノロジーの進歩についていけないものたちが、テクノロジーの象徴である機械を壊してうっぷんを晴らした。なんて文脈で語られることが多く、物事の本質がわからない下級労働者たちの短絡的な破壊活動であったと、現在ではまるで彼らが愚か者であるかのように語られています。
しかし、いま一般的になってしまっているそのような認識は、下級労働者ではない上級の、ごく一握りの貴族階級からの、ある意味押し付けられたレッテルであったのでした。
階級ピラミッドの最上層以外の(つまりほぼ全体である)一般の思いは、当時の支配層である(言論はもちろん思想をも支配していた)貴族や知識層の認識とはまったくの正反対だったのです。ラッダイト運動とは、テクノロジーが発達し始めてから長年ずうううううっと虐げられてきた者たちの、まさに魂の叫びであったのです。そして、自分たちの権益意外に興味のない貴族階級には決して見えないところに、テクノロジー・イノベーションの負責が累積していったのではないか。という、強烈なメッセージが込められたのが本書なのでした。

技術の進歩は善であり、富める上位層が現れても、下位も含めて平均的に、人類がまとめて良い方向にすすむ。と、私なんぞもいままで盲目的に信じてしまっていたわけですが、そんな偏見をぶちこわす数々のデータが事例として紹介されています。

生産性バンドワゴン

生産性が高い技術が現れるとそれにつられて全体が良い方向へすすんでいく、「生産性バンドワゴン」というたとえがでてきます。このバンドワゴンに連れられて全体が足並みをそろえて進めばよいのですが、実際にはワゴンの生産性が進むにつれての後ろの連なりは距離が伸びていき、全体でみると格差が広がっていくことになるのではないか。と本書は説いています。

世紀の大工事の裏側

まず、近代の大工事、地中海と紅海を結ぶスエズ運河を成功に導いたフェルディナン・ド・レセップスの功罪について語られます。レセップスはスエズ運河がもつ生産性・経済的なポテンシャルを、だれもこんなところに運河など作れないと思っていた時代に正確に見抜き、度重なる困難を(主にエジプト人労働者側に苛烈な負担を強いることで)乗り越え、ついにスエズ運河を開通させます。
海運という世界を制する事業を成功させた彼には富と名声が舞い込み、立て続けに今度は中米のパナマ運河の工事に挑むのでした。
しかし、スエズではうまくいった(じつは問題だらけの)さまざまな工事手法や、資金調達方法などがパナマではことごとく失敗し、最終的にパナマ運河計画は放棄されることになります。残されたのは工事途中の溝と、熱帯地方特有の黄熱病で工事関係者の多く(実に二万二千人と推定、うちフランス人技術者5千人、残る1万7千人は現地労働者)が非業の死をとげ、投資家たちは10億フランを文字通り工事半ばのドブに捨てることになりました。
レセップスはこの失意の中で命を落とし、息子さんや関係者は詐欺罪で実刑を受けたそうです。

(そのおよそ20年後、ようやくパナマ運河を開通させたのはアメリカでした。工業的で軍事作戦のような計画の立て方と失敗からの学び方がプロジェクト論としてなかなか興味深いのですが、これはまた別の物語になるので割愛)

世界の流通を大きく変化させた運河というイノベーションは、経済発展の意味合いでは良いことととらえられますし、バンドワゴンの先頭の一握りの人々には富と繁栄をもたらしたかもしれません(それでも詐欺罪でつかまってたりするんですよねえ)が、それに続く人々には労苦を与えただけではなかったのか。
実は、テクノロジーによるイノベーションは最大多数の最大幸福とは相反するものなのでは? という論説につなげながら、下巻へとつづきます。

広がる格差を是正できる? 社会保障は機能しているのか?

第二次世界大戦の戦中戦後、アメリカでは生産性バンドワゴンによる効率的な生産が(ちょうど、偶然?)上手くいき、経済が急成長してしまいます。
ヨーロッパもそれに習い、戦後の復興期に高度に成長します。その際、イギリスを中心に社会保障制度が拡充されます(「ゆりかごから墓場まで」)。

ただし、その繁栄は、やはり(奴隷はなくなったものの)黒人や女性などの社会的弱者の記録に残らない人々の文字通り献身によるものが大きかった。とのこと。

この社会保障についての章で「日本は独自の制度を実施した」(下巻p56)<中略>「日本では、長期雇用関係とそれに伴う高賃金方針が、成長の果実を分かち合うのに不可欠だった」(p58)とあります。ようやく日本についても書かれているなーなんて思いましたが、はたして本当に成長の果実をうまく分配できていたのかなぁ? という気になりましたですわねぇ。

そして、いよいよ

デジタルな時代

がやってきます。

いままでの蒸気機関や内燃機関、電気動力などによるオートメーション化をさらに加速させる形で、情報革命、IT化によるバンドワゴンの(先頭だけの)加速度的なスピードアップです。

当然、置いて行かれる後方との距離は伸び、格差は広がるばかり。

1980年代、黎明期のコンピュータマニアたちは、生まれたてのテクノロジーで世界が変わることを期待し、ハッカー文化に代表されるような、巨大資本や権力に反抗する若々しい、少々反体制的で自由で理想主義的な、人間の能力拡張論を牧歌的に信奉していました。(コンピュータは知性の自転車である。と、あのスティーブ・ジョブズはよく言っていたとか)
しかし、やがて、彼らの中からビジネスを制した一握りのIT長者が現れ、そんな勝者たちが多数の労働者を管理するためにIT技術を使う、という格差の拡大再生産めいた図式におちついてしまいました。
この情報化した管理技術はやがて国家的な国民の管理と監視社会につながっていきます。

いちおうお隣の国

ここで中国の最近の例が書かれていて、おおまかな断片を知ってはいたものの改めて書かれれるとおっそろしいな。という気持ちになりましたね。

人々を管理することを、一部の特権階級が「できてしまう」こと。できるならそりゃやるよね。という方向へのアシストする力とデジタル技術の親和性。
たんなる労働者の効率アップのための管理が、監視につながり、やがてその労働者を生む教育の方向性の決定へ。それらも特権階級が「できてしまう」世界。

かの国の監視(管理)社会を指して、研究者が言った

ジョージ・オーウェル『一九八四年』よりも、むしろオルダス・ハクスリーの『すばらしい新世界』のようだ

(下巻P181)

という言葉にビビりましたね。(どちらもディストピア小説の傑作です。ひつどく!)
これ某国の話ですけど、うちの国だって、そしてほかの国々だってそっちにむかっちゃうんでしょうねぇきっと。

昔、『一九八四年』が描く管理社会をモチーフにしたCMでビッグブルーを打ち壊したリンゴの会社が、今や率先して管理する側に立っていることを、当時の牧歌的な夢を見たコンピュータマニアたちはどう思ってみているのかなあ。なんておもっちゃいましたねぇ。
(最近は自分たちの顧客であるはずのクリエイターに喧嘩売るような打ちこわし(つぶし?)CMしてたみたいだしねぇ。と、これも余談)

本書の要点をまとめると

さて、テクノロジーと格差について、どうも繰り返しになってきたようなのでおおざっぱにまとめてしまうと

  • テクノロジーは分断を助長する

  • データ収集が強まることは監視の強化につながり

  • 反民主的な傾向が強まる

  • 強者はより強く、競争原理で上り詰め

  • 弱者はいつまでも弱いままで搾取されつづける。

とまあこのようになります。
特に恐ろしいのは、ITテクノロジーとAIはそのすべての側面で強者に有利に働く(働きやすい)
ということです。

うーん、いままでの事例の列挙からのこの傾向分析はとても説得力がありますね。

では、

我々はどうしたらよいのか??

ということが最後の二章の書かれているのですが、そこまで解説してしまうのはアレなので、今回はここまで!

詳しくは本書を読んでいただければと思います。かしこ。




#ダロン・アセモグル #サイモン・ジョンソン #鬼澤忍 #塩原通緒 #らせんの本棚 #技術革新 #イノベーション #テクノロジー #ラッダイト


以下、自分用のメモです。
ワタクシなりの考察ですがネタバレ含みます。ごちゅうい!
思いのたけを綴っていたらアバウト1400文字ぐらいあります。それもごちゅうい!w

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