自撮りができない僕らの強がりを一つ聞いてくれ

伊勢神宮に行った。

信心深い方じゃないけれど、なんとなく伊勢は好き。余りにも多くの人からありがたがられた結果、境内の中の木は他所ではなかなかお目にかかれないくらい育っているのが好き。大昔「この土地にはえらーい神様がいるんだ!!!!!」って誰かが言い出してから今に至るまでありがたがられまくった結果、木がムクムクしている。神様がいるのかとかはよく分かんないけどそういう歴史の積み重ね的なものが体感できるのが大変好ましい。気のせいかあの辺りにいる鯉もトンボもやたらデカい気もする。


外宮を参拝していた時、なんとなくパワースポットっぽい石の前で自撮りをしているおじさんが目に入った。
自撮りしてる、と思った。境内の中で写真とか撮るなよ、みたいな批判精神があった訳じゃないけど、「自撮りするんだ。」と思った。僕より明らかに歳上の、白髪混じりのおじさんが自撮りをしていた。
内宮に移動すると、セルカ棒を持参してまで自撮りしている人もいた。『自撮り』という文化は、既に若者だけのものではなく僕より幾分か歳上のおじさんおばさん達にまで浸透している。


僕は自撮りが苦手だ。そもそも自分が写真に撮られるのがそんなに好きじゃない。それを抜きにしても自分とその他被写体を一つの画面に写し、キメ顔をし、『盛れる』画角を探して、ポーズをとりながら、片手を伸ばしている自分というのがどうにも恥ずかしい。
昔、何人かでお酒を飲んだ時に見よう見まねで自撮りをしてみたが、後日見た写真は全部ブレブレだった。いや、自意識云々以前に普通に下手なんかい。


あの写真を撮ってたおじさんはあの自撮りをどうするのだろうか。インスタにでもあげるのかな。インスタに自分の写真をあげるのも僕には出来ない。たまにアップする写真はもっぱら自分以外を写したものだ。

伊勢で唯一撮ったカフェの写真。僕は写ってない。



自意識が過剰すぎる。自分でもわかる。でも出来ない。姿も形もない他人が「テメェは自撮りするような顔してねえだろ」って胸ぐら掴んでくる感じがあるから。
どうすればこの他人とうまく付き合えるのかがいまだに分からない。僕の人生における生きづらさのようなものは、言い換えればこの『他人』との付き合いにくさに所以してる気がする。


何とか神様パワーでこの『他人』との付き合いが楽になったりしないかなあ。みたいな事を思ったりしながら、僕は帽子を取り、鳥居の前で一礼をする。隣にいる『他人』は「芝居がかってる。キモい。」って言ってた。
楽にならないかなあ。本当に。


チェンソーマンのパワーちゃんのコスプレしてる人も参拝してた。これワシのお社じゃないか?????

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?