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墜ちた弁当

2023/10/2 弁当が墜ちた。アボカドが弧を描き、地で待つ千切りキャベツのクッションに着地。海老はキラキラしたスーパーボールのように跳ね、身がぶりんぶりんと波打っているところまで見えた。

2023年10月2日、僕のお昼が奪われた。
出来事は一瞬だった。会社の狭いキッチンでお弁当の準備をしていた。この日のおかずは先日つめた、海老と卵の炒め物、冷凍のチキンナゲット、地味にはまっているアボカド。
いざ食べようと、準備を済ませ手を洗おうとしたその瞬間、なぜか上から紙コップの束が落ちてきた。弁当を直撃。全て床にひっくり返る。今まさに食べようと楽しみにしていたものがなくなった。

「えっ、!?。。。すみません。。。」
会社の後輩が紙コップの補充をしていた際に、誤って落としてしまったそうだ。

誰でもミスはあるし、たまたま紙コップが落ちた先に僕の弁当があっただけだ。

ー感情。感情を忘れて、無になっていた。初めての経験。いつもは、感情を意識することなんてほとんどないけれど、この時ばかりは本当に感情がなかった。はっとして「大丈夫だよ」といはいうものの、何をしたらいいのかわからなかった。とりあえず床に無残に散っている”元”弁当を拾い、弁当箱を洗う。いつもは満腹で気持ちもおなかも満たされながらしている作業が、今日はとても寂しく感じた。

たかが弁当。されど弁当。コンビニに行く気にもなれず、ふらふらと外を散歩した。

みんなは感情が無くなったときはどうしているのだろう。僕は一瞬の出来事に呆気にとられ、先輩のごはんを台無しにしてしまった後輩に声をかけることもできず、声だけの笑顔をむけることしかできなかった。

日常では、何かの出来事があれば、それに伴ってじわじわと感情がついてくる。1秒でも0.1秒でもラグがあるということを今回知った。当然のことだが、何か事象が起きて、一瞬で脳が働いて、この時はこういう気持ち!!と脳みそが指令を出してくる(詳しいことは知らん)。お祝いされて、その言葉を聞いて、脳が喜べ!と指令を出す。お酒を飲んで、くだらない話で盛り上がって、楽しい!と思う。ペットが亡くなって、悲しい寂しいと思う。全て、事象→感情の流れ。

では、このときはなぜ感情が”無”だったのか。

散歩をしながら考えたのは、「考えることが多すぎた」からだ。
あ、弁当墜ちたな。なんで紙コップ(束)?誰かが落とした?弁当は?床。おなかすいた。掃除しなきゃ。ネタになるな?お昼なにしよ?コンビニいく?後輩謝ってるな。許す?違うな。誰がわるい?わるいというか不注意というか。キレるか?キレたらどう思われるかな。気にしちゃうかな。でも弁当ねーよ。アボカドやっと食べれそうだったな。弁当やっと作れるようになったんだけどな。
考えることが多すぎて、どれにどの感情を向けたらいいのかわからないッ!

仕事で忙殺された日々を送り、あれもこれもやんなきゃ~!ちょ一旦思考停止。みたいなことはある。整理して優先順位たてて。みたいな。
でも今回の場合は思考停止ではない。感情停止だ!


みんなはある?感情停止。
もし、何か気に食わないやつがいたら、一度に色んなことを体験させてやればいい。感情停止になって、無の境地(顔面)を拝めることだろう。実に滑稽この上ない。

ちなみにこの記事も、弁当が墜ちたという事象があってから色々考えて、これをネタにnoteを始めたら面白いな、ワクワクという感情がやっと出てきて、書いている。

明日お弁当を持っていくか、悩みどころだ。
また弁当が墜ちたら、note書くかな。





あー、えびだべだがっ”だな”ー!!!!(悲しい感情)



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