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SS・煙草物語・6/7【CHAMPIX】(1330字)

←「Marlboro LIGHTS MENTHOL

思うところあって飲食店を経営する会社を退職した僕は、デザイン関係の仕事に鞍替えしていた。営業兼ディレクションといった仕事だが、パソコンを酷使する時間が延びるのに比例するように、煙草の本数は増える。相変わらずマールボロライトメンソールを吸い続けながら、2011年の3月11日を迎えた。

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僕が住む街を襲ったものが未曽有の大災害であったこともあり、煙草の入手が一時的に困難になった。というより、煙草がどうとか言っていられない状況で、そちらに頭も回らない。煙草よりも米やパン、野菜や肉、ライフラインの方が生命の維持にとって重要、という至極当然のことを再認識した。煙にカロリーは無いが、体にとってのメリットも同じくらい無い。ガソリンの供給も不安定になり、車で走り回るような気持ちの余裕が無くなってしまったことも手伝った格好だ。煙草の入手に関する状況については程なくして解消されたが、今後また同様の事象が起こらないとも限らないし、その度に煙草を求めてゾンビのように彷徨い歩くのは性に合わないと悟った。そんな経緯で、僕は禁煙を考え始める。テレビCMで流れる「禁煙外来」という言葉が耳に馴染み始めた頃、僕は病院で処方された「CHAMPIXチャンピックス」という名の錠剤を飲み始めていた。たちどころに喫煙欲求は消失し、あんなに好きだった煙の匂いすら受け付けなくなってしまった。
僕は非喫煙者となった。「煙草を辞めるとメシが美味くなる」という、古来からの言い伝えがあるが、これは真実だった。あまり得意ではなかった甘いものが、こんなにも美味しかったとは。自分を取り囲む空気が、こんなにクリアになるとは。地球の空気にどれだけの煙を混ぜ込んでいたのかを想像すると、少々喉がイガイガした。
煙草代が不要になったからといって預金残高が増えたかというと、これは当てはまらない。煙草代は酒代に名前を変えただけで、僕は国内経済の活性化に対する尽力の手を止めることはなかった。我ながら立派な立ち居振舞いだと思う。立派な立ち居振舞いは3年続いた。

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約3年のあいだ一本たりとも吸わなかった非喫煙者が再デビューを果たすのは、僕にとって容易たやすいことだった。激務とストレスがトリガーとなり、気付けば引き出しの奥にしまってあったZIPPOを引っ張り出し、かつて吸っていたマールボロライトメンソールをカートン買いしていた。ZIPPOのオイルに混ぜ込んでいた香水の気配も既に消え、過去の“良からぬこと”に想いを馳せる余裕もなく、見事に本数も元通り。それに反比例するかのように目減りした喫煙スポットに時代の流れを感じながらも、ただただ煙を吸っては吐き出していた。
しかし、どうも感覚が以前とは違う。非喫煙者であった3年間の間に煙の匂いが極端に苦手になったせいだろう。ちなみに甘いものに関して言えば、煙草が復活したからといって再び苦手に戻ることもなかった。これは、以前よりも誘惑が増えている状況じゃないか。
何かしっくり来ないと思い始めた頃、革新的な煙草が頭角を現し始めた。その煙草は火は不要とし、代わりに電気が必要だという。

最終話「iQOS~outro」→


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