note休暇について思うこと
ここ最近、実は少々「note酔い」をしていた。
もともと文章を書くことを不得手とする性格だった為、自分の記事の書き方にもちょっとした迷いが生じていた。
書かなきゃ書かないで別にそれで良いのだが、それでもフォローしている方々の記事を読むことで、「すごいなー」「上手いなー」「面白いなー」と感じることが増え、その中に自分の記事を投じることに躊躇いを感じ始めたのだ。
僕の過去の投稿の中でも特に「スキ」を頂いたのはこちらの記事。
随分とクレイジーな記事を書いたせいで、自ら雁字搦めになってしまった。
この記事に「面白い」という感想をいくつか寄せて頂いたことで、「○○について思うこと=面白い人」という、有り難くも、ズッシリと重たい物が肩に乗ってしまった格好だ。
面白いことを書かなければ。
笑えるフレーズを考えなければ。
そう、僕は星野源の亡霊に取り憑かれてしまった。
どうせならガッキーの方に取り憑かれたかったが。
もちろん星野源を敬愛しているし、自分で書いておいて「取り憑かれた」など、勝手かつ失礼なこと甚だしいのだが。
当然ながら、星野源氏に一切罪は無い。
ここで冒頭の話に戻る。
具体的に誰かに言われたわけではないが、「最近尖ってない」「料理記事で誤魔化すな」と、脳内のもう一人の自分に言われているような気がして、迷いや躊躇というものが顔を出し始めた。
では、どうすれば良いか?
僕がnoteを続けるために選択した行動は、noteを開かない、というものだ。
一見矛盾はしているが、距離を置くことで生まれるものもある。
いくつかの記事は読ませて頂きつつ、そのうちいくつかはコメントもさせて頂いたが、基本的にはアプリ自体を立ち上げなかった。
その間に見落としてしまう皆様の素晴らしい記事の数々もあろうが、そもそもnoteから遠のいてしまっては元も子もない。
正しく当てはまってはいないだろうが、「必要悪」に近いニュアンスだろうか。
「休暇なので!家族と過ごす!」という、よくよく考えると意味不明な宣言をし、noteを開く頻度を激減させてみた。本当は妻子が寝静まった後などに書く時間は多少あったのだが、本を読むこと、Amazonプライムビデオでドラゴンボール改を観ることに充てた。
するとどうだろう。
いつの間にか「書かなきゃ!」という半分義務のようになっていた投稿も、そうではないと気付く。
いつの間にか「面白くあらねば」と思い込んでいた、誰にも頼まれていない妙な呪縛からも解放された気がしてきた。
全ては思い込み。
ここで原点に立ち返ろうと思う。
可能なタイミングでnoteを開く。
無理はしない。
書ける時に適当に書く。
思えば2021年10月4日、元々こんな雑魚記事(168文字)で始まったのだから、別にいいだろう(Twitterでやれよ、というレベル)。
というわけで、特に面白くもない、何の足しにもならない記事も、恥ずかしげもなく堂々と上げていこうと思う。
…という、もっともらしい言い訳を盛大に思いついた、休み明け一発目の投稿。本当はただサボっていただけという可能性も捨てきれない。
面白い記事?
…書けたら書く。
※「行けたら行く」くらい信憑性がないので、期待はしないで欲しい。
よかったら、また遊んでね。
ただいま。
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