見出し画像

親ガチャという響きについて思うこと

「親ガチャ」という何とも言いがたい響きの言葉。
2021年の「ユーキャン新語・流行語大賞」のトップ10にも入ったとのこと。
流行語大賞のページに書かれた解説によれば、

「ガチャガチャで出てくるアイテムのように親を自分で選べないことで、親が当たりだったりはずれだったりすることをひと言で表現したことば。生まれた時の環境や親で自分の人生が決まっているという人生観が今の若者に広がっているのだという。
親は子どもに自分のことは棚に上げ「努力すればなんとかなる」「あきらめなければ道は開ける」といつもがんばることを求めてきたわけだが、これを言われちゃ子どもはつらい。」

ユーキャン新語・流行語大賞 ウェブサイトより抜粋引用)

ということらしい。

もう旬でもないし、多くの方々がそれぞれの立場で議論しているので、今さら僕が本稿でこの言葉の「良い/悪い」を論ずることはしたくない。

それでもだ。

うーん、と思う。
何かが引っ掛かる。

親を選べないという事実を「ガチャ」に例えるというのは言葉遊びとしての面白みがある。
何が出てくるか分からない運任せという点において、言い得て妙である。

ただ、それを気軽に自分の親もしくは友人の親を指して発信するのだけは細心の注意を払った方が良いのではないか、と考えてしまう。

僕も馬鹿な高校生だった頃にこの言葉があれば、迂闊にも自分の親に面と向かって言ってしまっていたかもしれないが。

言葉というものは自分が思っている8倍くらい、攻撃力を発揮してしまう場合がある。

もしも僕が娘からこの言葉を言われてしまったら返せる言葉はたった一つだけである。

「そんな言葉使うんじゃない!」ではない。
「ごめんよー」の一言である。

彼女はまだまともに会話を出来る年齢ではなく、今日現在赤ん坊である。
言語化できないリクエストにだって全力で応えているつもりだし、家計が許す限りのアンパンマングッズも用意している。

それでもこれから彼女が大きくなり、「〇〇ちゃんのおうちの方がお金持ち」「パパの遺伝のせいで私の目は一重」「クセっ毛は受け継ぎたくなかった」「親ガチャハズレ!」などと言われてしまったら、不貞腐れた僕は有り余る、いや、ひっ迫する財源の中からアイプチ代と縮毛矯正代を捻出してしまうかもしれない。
DNA操作の技術を体得したうえで、必死に発明したタイムスリップ可能なデロリアンに乗ってドクと一緒に過去に飛ぶという暴挙に出てしまうかもしれない。その道すがらビフからスポーツ年鑑を奪い「〇〇ちゃんのおうち」よりも大金持ちになり、悠々自適な穏やかな日々を過ごしながら晩年は流行語大賞の審査員を任され、「親ガチャ」という言葉を見て「あー、大変だよねー」などと言うのだ。

もう、何をするか分かったもんじゃない。
誰にも僕を止めることは出来ない。

閑話休題。

友達同士で自分自身の状況として自嘲的に使うことを止める気は一切ない。
心の中で唱えて何かしらのバネにするなり、言い訳に使うことだって全く悪いことだとは思わない。

ただ、自分の生まれた環境がどんなものだったとしても、自分の親にその言葉を投げかける時には、それなりの覚悟を持って欲しい。

「自分を生んだ親には感謝すべき」などと説教じみたことは言わない。

確認しておきたいのは、ガチャを回して出てきたカプセルに入っていたのは時系列的には子供であり、親ではないということだ。

ガチャガチャの機械に100円玉を入れたのは紛れもなく親であり、ハンドルが回されることがなければ、気の置けない友人と「親ガチャ ハズレだー!」と談笑出来る現在が封入されたカプセルは出てこなかったのだ。
そんなのは寂しすぎる。

そしてここで「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ。」である。ニーチェの有名なやつ。
「親ガチャ」が存在するということは…、である。

玄関を上がって洗面所の扉の横に置いてあるガチャマシーンは果たして本当に「親ガチャ」なのだろうか。
よくよく見たら別の機種ではないだろうか。

「親ガチャ ハズレ!」と気軽に言う人物が、彼らの親から「何か」を思われていない立派な子であることを切に願う。

ただ、僕の足りない頭で考える限り、「子ガチャ」に関して言えば、大多数の親にとって大当たりばかりなのだと思う。

少なくとも、我が家の「子ガチャ」は大当たりだったと自信を持って断言したい。
年月が経つにつれて、いつの間にかハズレに変わることだってない。
きっと他の家庭と同様に、うちに設置されているガチャガチャにもハズレ入りのカプセルは最初からセットされていなかったのだ。

それでも色々な事情や環境はある。
きっとここまで書いてきたことは世間知らずなおじさんの妄想・綺麗ごとなのだとも思う。
事実、我が子を手にかけてしまう馬鹿親(大ハズレ)だって実在する。

本当に「ろくでもない親」を引き当ててしまっていた場合、この「親ガチャ」という言葉を使おうがどうしようが、きっと「そう」なのだろう。
全力で距離を置くなり逃げるなりすることは、決して恥ずべきことではないとも、心底思っている。
たとえ親ガチャでハズレを引いていようとも、自分自身の値打ちはそうそう下がるものではない。

間違ってこの記事を読んでしまった若者へ。
「別にガチャを回してなんて頼んでないし!」などと言うなかれ。
将来貴方や周囲に子供が生まれたときに、おじさんの鬱陶しいこの文章を1ミリくらいは共感してもらえると思うから。

娘が僕をハズレ親だと認識し悲しい気持ちにならないように、親としての最低限の努力はしていこうとは思っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?