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私の「人間主義」について


AIさんに質問…

「人間主義」についてBingに尋ねると

人間主義とは、人間の本性や人間的な事象に関心と愛情を持ち、人間の価値と尊厳を認め、非人間的なものから解放しようとする思想や態度のことです。

人間主義は歴史的にさまざまな形態をとってきました。例えば、ルネサンス期には古典的教養の復興を通じて人間性の陶冶を目指す人文主義がありました。 また、17~18世紀にはイギリスやフランスで市民革命の理念となった市民的ヒューマニズムがありました。 さらに、19世紀以降には資本主義による人間の自己疎外から人間性の回復を目指す社会主義的ヒューマニズムがありました。

人間主義は、人間に固有の本性や価値をどのように規定し、どのように実現するかについて、さまざまな議論や対立があります。しかし、それらを超えて、人間主義は人間の生き方や社会のあり方について考える重要な思想です。

Microsoft Bing

と答えてくれる。
まぁそうなんだろうな。という感じである。

一言で言うと…

私の「人間主義」を一言で言うと

「幸福を感じる人の数➖不幸を感じる人の数」を最大値にする

となる。
ただ簡潔な考え方のはずが、この視点で考えると簡単に自分の立ち位置を決めれる問題もあるが、立ち位置を決めかねる意外と問題が多い。

簡単に立ち位置を決めれる問題…

動物が可哀想だという意味でのビーガンについて

この食用に飼育されている動物が可哀想という考えでのビーガンは、私の人間主義で言うと否定の立場になる。
人間は雑食であり動物性の食べ物を美味しく感じるのであれば、それを食べることは、人の幸せホルモンを分泌させるコスパの良いと言える。
コストを下げて飼育する場合、劣悪な環境になり可哀想というのもコストを下げることにより資本主義経済上、資本がない人たちにも食べれるようになるため、必要な手段だと考える。

そもそも「動物が可哀想だから」というのを突き詰めると、生物を食するのは可哀想・残酷となると思う。植物だって痛みを感じている可能性があるわけで、

人間以外の種族の生き物に対して共感し過ぎると、生きていくことはできなくなる。少なくとも現状の人間社会では無理だと思う。

ただし地球の状況が悪化して将来的に人間が暮らせる環境になるから、ビーガンになるべきだ。という主張の場合は、判断が難しくなる。金融用語には、「現在価値」という考え方があるが、私の人間主義の考え方からも将来の人間の幸福も計算に入るので、仮にビーガンにならないと絶滅するかそれに近い状態になってしまうのであれば、ビーガンに賛成する立場になる。ただ、現状私が目にした情報ではビーガンにならないと絶滅かそれに近い状態に近未来なるとは思えていないので、ビーガンには否定的な位置にいる。

このような感じで、立ち位置を決めるのば難しい場合はある。まぁその中でも現状「どちらかな?」とは考えている。

障害者等の弱者救済について

また本当に難しい問題は、弱者救済についてだと思う。単純に人間主義で考えるのであれば、日本は障害者やご年配者のように助けるのにコストが高い人は見捨てて、助ける際にコストが低い人をまずは全員助けるのが先になる。
しかし、そう単純には行かない。なぜならそれを見えるようにやってしまうと、苦しむ人が多くいるからだ。人は共感する生き物である。

「障害者等のコストが高い弱者だから切り捨てます」

これは切り捨てられる弱者に対して共感してしまい、多くの人が苦しい思いをすることは、容易に想像が可能だと考える。
そうなると、この問題は現状ように曖昧にして、どちらも救済しなきゃいけないよね。と効率の悪い人も一定数助けて、その多数の人の気持ちを苦しめないことが、人の幸福の最大数を大きくと考えるから。

私個人の考えでは、サイコパスっぽい所があるようなので、コストに低い人や将来のある子どもを助けきれていない現状では切り捨てるべきだと考えている。実質的には無理だし、実施されるとなると、とても恐ろしくも感じている。自己矛盾である。

今の私の中の「人間主義」は、こんな感じである。まぁこれからも誰かの意見でちょこちょこ修正されていくであろう価値観だが、ひとまず自分の中での価値観という意味では一本通っていると感じているので、物事を考える際に立場を取りやすいと思っている。
〜おわり〜
(あとがき)

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