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人は恐怖ではなく愛で動く【C・リンドホルム『カリスマ』⑨】

前回は、群衆心理学の観点から

人の集団は「催眠」にかかった
ような状態の、エネルギーはあるが
不定形な集団であり

自分たちに明確な形を与えてくれる
指導者を待ち望んでいる

…という話をしました。

今日はその話の続きです。

人は愛によって動く

ル・ボンと同じく、群集心理を
研究した人物として
タルドが紹介されています。

カリスマ的な人物が引き起こした悲劇…
たとえば、ヒトラー時代のドイツも
実は人は「恐怖」だけでなく
「愛」を感じていた、とタルドは言います。

多くの人間が恐怖だけでコントロールされるなどと言うことは、大きな誤りである。事実はその反対であって、あらゆる偉大な文明、いやむしろ近代のそれを含めたすべての宗教的・政治的制度の出発点には、前代未聞の愛の蕩尽が、しかも満たされざる愛の蕩尽が存在したことを、あらゆる事柄がさししめしている。

P115

恐怖ではなく、愛が
すべての宗教・政治的制度の出発点だ


というわけです。

実際、ナチの支持者は

「ヒトラーにじっと見つめられた(あるいはそうと自分で感じた)ときの〈忘れがたい〉、魔法のような瞬間を強調する」

P116

ということで、本当に愛されたかは
ともかくとして、
信奉者の側は、大きな愛を感じとっていた
ということになります。

人の繋がりが希薄になるとどうなるか

人は愛によって動く…という話を
してきましたが、
では、人とのつながりが薄くなり
愛のある関わりがなくなっていくと
どうなるか…

つまり、近代はどういう状況にあるか
ということを、群衆心理学的に言うと…

鶴のひと声によって、それを無感動状態から熱気あふれるトランス的活動へと導いてほしいという無制限の未熟な欲望によってのみ結合した実在をもたらすであろう。その声が響くとき、それを聴く群衆は、思慮分別を欠く愛の力で、「優越者とされる存在への崇拝、その存在に仮託された権力への恐れ、その命令に対する盲目的な服従、その教えを討論する能力の欠如、そうした教えを広めたいという欲望、それを受け容れない人間のすべてを敵とみなす傾向」(ル・ボン)といった特徴をもつ暴力と極端主義の宇宙に閉じこめられてしまうのである。

P122

優越者への崇拝
盲目的服従
教えの内容を討論できない
教えを広めたい
受け容れない者は敵

非常に危ない集団が出来やすい
環境にある
…ということが分かると思います。


人が愛に満たされていない環境
というのは、社会から見ても
非常に危険な状態である
…ということになりますね。

まとめ

ナチ支持者の多くは
恐怖ではなく愛によって
動いていた。

人が動くのは恐怖によってではなく
愛によってである

人の繋がりが希薄になった近代には
危険なカリスマ集団が
立ち上がりやすい素地がある

続き


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