もっとヒマになれ!【はじめての大拙】
こんにちは、らるです。
毎日、学校や仕事が大変で
あるいは、人間関係が大変で
辛さを感じながら生きている
そういう方も多いと思います。
辛い、苦しい…
そんな感情を持った時
皆さんはどうしているでしょうか?
例えば、
お酒を飲んでみたり
過激な動画を見てみたり
ゲームをやったり…
なんらかの刺激を求めては
いないでしょうか?
そんな、苦悶に対して
刺激を求めること…について
仏教学者 鈴木大拙の言葉を紹介します。
もしかすると、自分のあり方を
見直すきっかけになる言葉かもしれません。
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ゆったりヒマを楽しむか、刺激を追い求めるか
苦しい時に刺激を求める…というのは
ただ苦悶を
「一時的に窒息」させるためだけのもの
…だというわけです。
おそらく、これは言われてみると
その通りだな…と
思う人が多いのではないでしょうか。
刺激に身を任せたところで
一時的に苦しいことを忘れられるだけで
気が付けば、また元の苦しい状態に
戻っている…
というのは、体験したことがあるでしょう。
これがまさに「一時的な窒息」なわけです。
じゃあ、どうするの?
刺激が、苦しみを一時的に
窒息させるだけなのだとしたら
根本的にはどうしたらいいのでしょうか
その答えは、
「ゆったりとしたヒマをもつ」
ということです。
先ほどの引用部分にも
こうあった通り
要は「閑暇」=ヒマが無いから
苦しみ悶えてしまうわけです。
一度、暇がなく苦しい、という状態になると
⇒苦しい
⇒わずかにできた時間で「刺激」を求める
⇒”一時的”に「苦しい」から逃げられる
⇒苦しい に逆戻り
⇒刺激を求める
…
と、苦しみと刺激のサイクルから
逃れられなくなります。
どこかで、ヒマを作るしかないんです。
そして、そのヒマを使って
外部からの刺激で
苦しみを忘れる…というのではなく
自分と向き合うなり
教養を得ることを楽しんだり…
そういった形で
ヒマを楽しむということが
大切になんです。
もちろん”刺激”に走りたくなることは
あると思います。
そんなときに、一旦
「刺激は苦しみを一時的にマヒさせるだけ」
だということを、思い出してみてください
それでも、刺激が必要なときもあるでしょう
ただ、少し、余裕を感じるなら
安易に刺激に走らずに
ゆったりとしたヒマを楽しむ
…ということも、してみてはいかがでしょうか?
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