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もっとヒマになれ!【はじめての大拙】

こんにちは、らるです。

毎日、学校や仕事が大変で
あるいは、人間関係が大変で
辛さを感じながら生きている

そういう方も多いと思います。

辛い、苦しい…
そんな感情を持った時
皆さんはどうしているでしょうか?

例えば、
お酒を飲んでみたり
過激な動画を見てみたり
ゲームをやったり…

なんらかの刺激を求めて
いないでしょうか?


そんな、苦悶に対して
刺激を求めること…について
仏教学者 鈴木大拙の言葉を紹介します。

もしかすると、自分のあり方を
見直すきっかけになる言葉かもしれません。

(2022/8/7時点 kindle Unlimitedで読めます)


ゆったりヒマを楽しむか、刺激を追い求めるか

 じつを言えば、われわれいわゆる現代人は閑暇を失っている。悶える心には真に生を楽しむ余裕はなく、ただ刺激のために刺激を追って、内心の苦悶を一時的に窒息させておこうとするにすぎない。

鈴木大拙. はじめての大拙 鈴木大拙 自然のままに生きていく一〇八の言葉 (p.43). 株式会社ディスカヴァー・トゥエンティワン. Kindle 版.

苦しい時に刺激を求める…というのは
ただ苦悶を
「一時的に窒息」させるためだけのもの
…だというわけです。

おそらく、これは言われてみると
その通りだな…と
思う人が多いのではないでしょうか。


刺激に身を任せたところで
一時的に苦しいことを忘れられるだけ
気が付けば、また元の苦しい状態
戻っている…

というのは、体験したことがあるでしょう。

これがまさに「一時的な窒息」なわけです。


じゃあ、どうするの?

刺激が、苦しみを一時的に
窒息させるだけなのだとしたら
根本的にはどうしたらいいのでしょうか

その答えは、
「ゆったりとしたヒマをもつ」
ということです。

先ほどの引用部分にも

 じつを言えば、われわれいわゆる現代人は閑暇を失っている

再掲

こうあった通り
要は「閑暇」=ヒマが無いから
苦しみ悶えてしまうわけです。

一度、暇がなく苦しい、という状態になると

⇒苦しい
⇒わずかにできた時間で「刺激」を求める
⇒”一時的”に「苦しい」から逃げられる
⇒苦しい に逆戻り
⇒刺激を求める

と、苦しみと刺激のサイクルから
逃れられなくなります。


どこかで、ヒマを作るしかないんです。

そして、そのヒマを使って
外部からの刺激で
苦しみを忘れる…というのではなく

自分と向き合うなり
教養を得ることを楽しんだり…

そういった形で
ヒマを楽しむということが
大切になんです。


もちろん”刺激”に走りたくなることは
あると思います。

そんなときに、一旦
「刺激は苦しみを一時的にマヒさせるだけ」
だということを、思い出してみてください

それでも、刺激が必要なときもあるでしょう

ただ、少し、余裕を感じるなら
安易に刺激に走らずに
ゆったりとしたヒマを楽しむ
…ということも、してみてはいかがでしょうか?


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