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「意思の力」なんて存在しない 人間に「自由」はない スピノザ「エチカ」第一部

『エチカ』第一部において
スピノザの示す「神」像

それは、
多くの人がイメージするような
人間のように
目的や感情をもった存在
…では決して無い


全ての究極原因であり
自然法則そのものである

ただし、そこには
目的は無く、意思もない

すべてのものは
神=自然のうちに存在

神の本性にしか従わない

第一部 定理32には、こうある

意思は自由なる原因とは呼ばれえずして、
ただ必然的な原因とのみ呼ばれうる。

自らの意思によって
自由に人生を切り開いていける
…というのは、自己啓発で
よく聞くフレーズであるが

これは「偏見である」
スピノザは断言する。

意思によって
何かが変わることはない

先程も述べた通り
全ての原因は神=自然である

それは意思であろうと
例外ではない。

他の様々な事象と全く同じく、
意思も神=自然が原因となって
必然的に起こるだけ
である。

神=自然に従っていないもの…
偶然というものは存在しないのか?

それも「存在しない」

定理33 備考2より

ある物が偶然と呼ばれるのは、
我々の認識の欠陥に
関連してのみであって、
それ以外のいかなる理由に
よるものでもない。

偶然に見えるのは
我々の「認識に欠陥があるだけ」
なのである。

第一部 付録においても
更に繰り返している。

すべての物は神から予定されており、
しかもそれは意思の自由とか
絶対的裁量とかによってではなく
神の絶対的本性あるいは
神の無限の能力によること

人間に自由はない

全て、神=自然が
予定したものである。

意思や裁量で決まるものは
何一つ無い。

第一部では、神の定義と
神に対してありがちな偏見を
ひたすらに打破していく

そして、
全てを原因論で語っていく

私たちの意思では
何も変えられない。


全ては、神=自然の法則の
通りにしかならない。

神には目的も意思も無いから
神頼みをしようが
何の意味もない。

意思で未来を切り開ける!

神を信じれば救われる!

…というように思っている人は
『エチカ』第一部を読むと
抵抗を感じるのではないだろうか?

「エチカ」を読む際に
第一部ではなく、第四部を先に読む
ということを薦める人
もあるらしい。

その意味の一端は
今日紹介した通り
第一部のあまりの厳しさにも
あるように思う。

ただ、昨日も紹介した通り
この神=自然が
全ての原因である世界で
「幸福」を目指す生き方を
スピノザはしっかりと示してくれる。


それが最初に垣間見えるのは
第二部の最終部分においてである。



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