ニーチェ流 他人にイヤなことをされたときの対処法『ツァラトゥストラかく語りき』
こんにちは、らるです。
人と関わっていれば
自分が間違っていないのに
非難されたり、
言いがかりをつけられたり…
そういったこともありますよね。
今日は、そんな時、
どう対応するのが良いか
というお話です。
…
ツァラトゥストラでは
一つのお話をもって、
「不正」への対処が語られています。
…
蝮(まむし)のかみ傷について
ある日、ツァラトゥストラは無花果の木蔭でまどろんだ。暑かったので、その腕で顔をおおっていた。そこに蝮があらわれて、首を嚙んだ。痛みのあまり、ツァラトゥストラは大声をあげた。彼が顔から腕をはなしてこの蛇を見ると、ツァラトゥストラの眼だということがわかって、蝮は不器用に身をくねらせて逃げようとした。「逃げなくともよい」とツァラトゥストラは言った。「君はまだわたしの感謝を受け取っていないではないか。よい時に起こしてくれた。わたしの行く道はまだ長いのだから」。「あなたの道はもうみじかい」と、蝮は悲しそうに言った。「わたしの毒であなたは死ぬから」。ツァラトゥストラは微笑んだ。「いままで、蛇の毒で龍が死んだことがあるか」──そう彼は言った。「だが、君の毒をとりもどすがいい。それをわたしに贈るほど、君は富にめぐまれていない」。そこで蝮はふたたびツァラトゥストラの頸に巻きつくと、その傷を舐めた。
Kindleの位置No.1170
ツァラトゥストラに
蝮(まむし)が噛みつき毒を注いだ
ツァラトゥストラは
「良い時に起こしてくれた,ありがとう」
「君の毒程度では死んだりしない」
…という流れです。
毒を注ぐ蝮(まむし)というのは
あなたに不正を働く人…ということですね。
ツァラトゥストラは
痛みで跳び起きたわけですが…
そういう人に対して
「良い時に起こしてくれた」…と
むしろ「感謝」をしています。
そして、相手の毒程度では
自分は死んだりしない…とも
言っているわけです。
言いたいことはこうだ。君たちに敵があるなら、その悪に対して善で報いるな。それは敵を恥じさせることになるから。それよりも、敵が諸君に何か良いことをしてくれたのだと、証し立ててみせよ。
Kindle位置No.1182
敵に何かされたときには
「敵が良いことをしてくれたと示す」
ようにせよ、というわけです。
そんなことを言われても
簡単にはできない…と、思いますよね。
その通りだと思います。
ニーチェもこう書いています。
いつも自分が正しいと主張するより、不正とみなされても平然としていることのほうが高貴だ。とりわけ自分が正しいときは。ただ、そうあるためには、十分にゆたかでなければならない。
Kindle位置No.1190
これができるのは
「ゆたかな人だけ」です。
…
一生懸命正しいと思うことを
し続けていても、
必ず何か言ってくる人はいます。
それは避けられないことです。
ですが、そうされるたびに、
一生懸命自分の正しさを示そうとする…
というのも、不毛であると私は感じます。
そういう時、
今回ニーチェが示したようなあり方
「敵がむしろ『良いことをしてくれた』」と
平然と受け止められる在り方が
カッコいいと感じます。
そのために必要な「豊かさ」は
しっかりと持っていたいと思います。
この精神的な豊かさを持つためには
自らの「意思」に向き合い
軸をしっかりと持ち
日々、新たなことを学び
日々、自ら考え続けること
こういったことが必要だろうと
私は思っています。
蝮の毒ではビクともしない
龍である自分を作っていきたいと
思います。
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