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日本人は「昔の姿」に立ち帰れ【出光佐三『「人の世界」と「物の世界」】

出光佐三という人物を
ご存知でしょうか?

石油元売り会社の大手
『出光興産』の創業者
であり

400万部以上売り上げ
V6の岡田准一主演で映画化もされた
ベストセラー小説
海賊と呼ばれた男』の主人公
国岡鐡造のモデルとなった人物
でもあります。

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この小説の冒頭のシーンが
私の心には非常に強く残っています。

1945年、日本の敗戦の直後
全ての資産を失い
会社の解散もやむなし…という空気の中


平均寿命が50歳(1947年データ)の時代に
既に60歳となっていた国岡鐡造(出光佐三)が
社員に力強く語ります

 壇上で鐡造と少し離れて立つ常務の甲賀の全身にも緊張が走った。甲賀は、店主が国岡商店の終わりを告げるのだろうと思った。
 国岡商店は鐡造が一代で築き上げた石油販売会社であったが、戦前戦中、活動の大部分を海外に置いていた。戦争に負けたということは、それらの資産がすべて失われるということを意味していた。鐡造のもとで三十年もともに頑張ってきた甲賀にとっては、国岡商店の解散は、終戦にも等しい悲しみであった。
 鐡造はゆっくりと、しかし毅然とした声で言った。
「愚痴をやめよ」
 社員たちははっとしたように鐡造の顔を見た。甲賀もまた驚いて鐡造を見た。
「愚痴は泣きごとである。亡国の声である。婦女子の言であり、断じて男子のとらざるところである」
 社員たちの体がかすかに揺れた。
「日本には三千年の歴史がある。戦争に負けたからといって、大国民の誇りを失ってはならない。すべてを失おうとも、日本人がいるかぎり、この国は必ずや再び立ち上がる日が来る」
 甲賀は自分の体が武者震いのようにふるえてくるのを感じた。
 鐡造は力強く言った。
「ただちに建設にかかれ」

百田尚樹.海賊とよばれた男(上)(講談社文庫)(pp.15-16).講談社.Kindle版.

「こんな日本人が居たのか…」
と、感動し、憧れを覚えました。

出光興産は、この後見事に復活し
現在も石油元売り大手として
存在し続けているわけです。

私は、出光佐三という人物に
興味を持ちました。

その思想が語られている本として

こちらを読んでみました。

日本人は「人の世界」に立ち帰れ

本書『「人の世界」と「物の世界」』の中で出光佐三は次のように語っている。
「すでに(一九六三年当時)戦後の日本の産業の大発展が世界を驚かしているのであるから、日本の産業人が「人の世界」に立ち帰って、小さいながらもわれわれ出光がやっているような力強い形を見せる。〈中略〉日本人の和の力を発揮して、対立闘争の(外国の)人たちに日本人本来の姿を見せて、示唆を与えることだ。これには三十年、五十年の年月を要するかもしれないが、「人の国」の日本民族が中心となって世界の永遠の平和をつくるべきじゃないか」。

Kindle位置No,3

かつての日本は「人の世界」であり
外国(今の日本も含む)は「物の世界」である

日本人はかつての「人の世界」のあり方に
立ち帰り、このあり方を「物の世界」の
人達にも伝え、「平和な世界」をつくろう

…出光の主張を短くまとめるとこうなります。

さて、ここで出てくる
「人の世界」「物の世界」という言葉を
簡単に説明しておくと…

「人の世界」
→元来の日本の姿
・和を重んじる。お互いに譲り合う。
・対立しない
・清貧を誇りとする

「物の世界」
→今の日本および外国の姿
・お互いに権利を主張し合う
・対立して闘争する
・法律、規則、組織で縛る

こういったところです。

なんとなく「人の世界」の方が
生きやすそうな気がしませんか?

「きれいごと」と言われれば
確かにその通りかもしれませんが

もし、本当にこのあり方が実現できれば

お互いにお互いのことを思いやり
一致団結して大きな力を発揮でき
人間が一人一人、イキイキと生きていける
そんな世界になるイメージが
できませんでしょうか?

これを会社の中で実現しようとしたのが
出光佐三だったわけです。

そして実際に、この「人」の力で
大きな成果を生み出し
大きな会社に成長していった
というわけです。

もしかすると、今の日本の行き詰まりは
「人の世界」であった
かつての日本を忘れてしまったから
…なのかもしれませんね。





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