常に自分を超えてゆけ 『ツァラトゥストラかく語りき』
生自身がわたしに語ってくれた秘密がある。生は言った。
「見よ、わたしはつねに自己を克服せざるを得ないものである。
フリードリヒ・ニーチェ.ツァラトゥストラかく語りき(河出文庫)(Kindleの位置No.2037-2038).河出書房新社.Kindle版.
こんにちは、らるです。
ツァラトゥストラ、難解ですね。
でも、なんとなく、伝わってくるものを
感じながら、かみしめるように読んでいます。
今日、引用した一節は
生とは、常に自己を克服せざるを得ない
つまり、
常に昨日の自分を超えていきたいと願うもの
という話…と、私は受け取りました。
いかにも、意識の高い人の話…のように
おもえてしまいますが
これが、「生」自身の言葉として
書かれていることがポイントだと思います。
生きている者なら、
必ず、こういう意思をもっているんだ
…という話ですね。
意識の高い人だけに特有、というわけじゃないんです。
…
「いや、そんなこと思ってないし…」
という人もいるかもしれません。
ただ、逆に考えてみたらどうでしょうか?
「昨日より衰えている私がいい」
こんなことを思う人はいないのでは
ないでしょうか?
できることなら
昨日できなかったことが、今日できるようになっていたらいいな
という思いが、本当に無いでしょうか?
自分の思う、よりよい状態へ
近づいていたらいいな、
…という気持ちは
本当に無いでしょうか?
…
これが「力への意思」というものです。
先日、ニーチェがキリスト教道徳
(弱いこと、虐げられることを我慢するのは良いことだ)
を批判したということを書きましたが
この道徳に従ってしまうと
「力への意思」にフタをしてしまうことに
なるわけです。
簡単に言ってしまえば、ニーチェの言いたいことは…
「もっと強くなりたいんだろ!」
「その気持ちに素直になれよ!」
…という事なんだろうと思います。
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