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「名声」を求めてしまう人へ【超訳 モンテーニュ 中庸の教え】

できることなら、チヤホヤされたい
…と思ってしまいます。
らるです。

「名声」というと
とても素敵な響きですよね。

~~さんってすごい!

と、多くの人から言われてみたい
という思いを持っている人も
多いと思います。
(私自身もそうです)

ですが、この「名声」を求める心には
落とし穴がある
フランスの哲学者モンテーニュは言います。

一体、名声の何がマズイのでしょうか?


名声には何の実体もない

 この世は迷妄で溢れている。中でも最も厄介な迷妄が、名声への執着だ。この迷妄は、どんな賢者でも最後まで抜け出せないほど、しつこいものなのだ。
 名声は、わたしたちを心地よさげな声で魅了する。だが、名声は影に過ぎない。幸福とは現実だ。実のあるものだから、幸福なのだ。
 なぜ、無事であることや、命や健康のような実のある幸福を捨ててしまうのだろうか?
 きみはどうだ?
 なんの実体もない、空虚な影を追い求めたいと思うだろうか?

大竹稽. 超訳 モンテーニュ 中庸の教え (p.179). 株式会社ディスカヴァー・トゥエンティワン. Kindle 版.

名声への執着は、どんな賢者でも
最後まで抜け出せない

…ということで
名声にとらわれてしまうのは
どうやら私のような一般人だけでは
無かったようで一安心です。



そこは置いておくとして

問題になるのは

名声は影に過ぎない
幸福は現実であり、実のあるもの

という部分です。

要は「名声があっても幸せになれない」
ということですね。

これは、ちょっとした比較を
考えてみればわかると思います。

名声はなくとも
健康で朗らかに生きている
のと

名声はあるけど
不健康で辛いままに生きている
のと

どちらが幸せでしょうか?

という話です。

当然、答えは前者の
名声が無くても健康 な方ですよね。


「名声」と「健康」と
両立すればいいんじゃないの?

…と、私は一瞬思いましたが
「名声」を保つには
非常に多大な努力が必要で、
身を削るような努力が必要
です。

その結果として健康を失う
…というのは珍しい話ではありません。
(有名人が病気になってしまったり
 ひどいときには
 自殺してしまったり…というニュースが
 珍しくないことを考えれば
 わかると思います)


このモンテーニュのお話は

身を削ってまで名声を求めるのは
バカげていないか?

ということです。


私は、名声よりも自らの健康を大切にし
目立たずとも、自分なりの幸福を
追い求める生き方をしていきたいと
思っています。

これを読んでいる皆さんにも

チヤホヤされたい
スゴイと思われたい

…という欲求に煽られて、
無理をして
健康を失ったりはしないように
していただきたいな、と
私は願っています。

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