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「日本の」労働がクソな理由とは!?【日本人というリスク】

【前回の復習】
仮に、日本でこれから

生涯雇用が保障されても
少子高齢化が解決されても
銀行の金利が上がって
土地価格が右肩上がりになっても

労働がクソなことに変わりはない

将来が希望に満ちたところで

労働がクソなことに変わりはないのだ

そういう話をした。



本当に救いは無いのだろうか?

私たちの大半は
人生を労働に費やして
生きていく

それなのに、その労働がクソでは
人生の大半がクソ
になってしまう

あまりにも悲しすぎないだろうか…

救いのヒントは
きっと、アメリカにあるはずだ。

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橘 玲『日本人というリスク』kindle位置No.1454

この時代のアメリカは
大規模なリストラが横行していたらしい
にもかかわらず

・満足度が高い
・人に勧めたい
・入社前に戻れるとしても、もう一度入りたい

つまり、仕事が大好きなのだ

どうして、好きになれるのだろう?

その答えはどうやら
「空間の構造」にあるらしい。

伽藍空間とバザール空間

伽藍というのは、人の集団が物理的・心理的な空間に閉じ込められている状態で、学校のような外部から遮断された世界のことです。それに対してバザールは開かれた空間で、店を出すのも畳むのも自由です。伽藍とバザールでは「評判」をめぐってまったく異なるゲームが行われています。

前掲書 kindle位置No.1484 

伽藍  =外部から遮断、閉鎖的=日本
バザール= 開かれた空間   =アメリカ

ということだ。

そして、この2つでは
「評判」に対する考え方が違っている

 バザール空間でのデフォルトのゲームは、できるだけ目立って、たくさんのよい評判を獲得することになります。これが「ポジティブゲーム」です。
 それに対して閉鎖的な伽藍空間では、押し付けられた悪評はずっとついて回ります。このゲームの典型が学校でのいじめで、いったん悪評の標的にされると地獄ような日々が卒業まで続くことになりますから、できるだけ目立たず、匿名性の鎧を身にまとって悪評を避けることが生き延びる最適戦略になります。こちらは「ネガティブゲーム」です。
 
前掲書 kindle位置No.1484 

できるだけ目立って、良い評判をとりに行く
上手くいかなければ、違うところに行けばいい

ポジティブゲーム というのがアメリカ型

他のところには移れないから
できるだけ空気になって
とにかく悪評を立てないよう生き延びる
ネガティブゲーム というのが日本型

どちらが楽しそうだろうか?

・アメリカ型
チャレンジしてみて、ダメなら次!

というのができるゲーム

・日本型
一度失敗したら終わり
ひたすら空気に徹するのが最適解なゲーム

…明らかに、日本型はクソゲーだろう。

以前、年功序列について書いたが

日本人の性質上
「ただ、その集団に長く居る」ことが
力を持つ条件
なのだ。

その「長く居る」間に
下手にチャレンジをして
悪評が立ってしまえばアウト
だ。

言ってしまえば、
ただの我慢比べということになる

ただ、目立った失敗をせず
ひたすらログインだけしつづけた人が
強いゲーム
…なのである。

そんなゲームだとわかってしまえば
誰もやりたがるハズがない。

つまり…

この「空間の構造」が変わらない限り
日本人の労働は永遠にクソのまま

なのである。

結局、今、日本で敷かれたレールに
乗っているうちは救いは無いのだろう。

救いを求める…つまり
仕事を楽しくしたい
のなら
既存型の組織に属してはいけない

…ということになる。

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