「個人名」の価値って?『野生の思考』第7章より
『野生の思考』第7章より
「固有の名前の価値は低い」
という話をとりあげる。
…
第7章『種として個体』では
ペナン族の人名体系が
とりあげられている。
このペナン族では
名前がコロコロと変わる。
生まれた時に与えられる
「固有の名前」で呼ばれるのは
親戚の誰かが死ぬまでである。
その後は、一族の中での
「関係性」から付いた名で
呼ばれるように成る。
例えば、祖父がなくなると
Tupouと呼ばれるようになり
父親の兄弟がなくなると
Ilunになる。
親戚がなくなるたびに
名前は変わっていく
結婚して子供を持つまでに
大体6~7つの名前を
通過すると言われている。
要は、「固有の名前」よりも
一族の中での関係性を示した
名前で呼ばれる期間が長い
ということだ。
…
この後も、細かい規則の説明が
続いていくが、そこは省略し
結論に入る。
固有名というのは
「クラス指標」である。
ということだ。
これはつまり、
前章で述べたことと
同じことを言っている。
個人の名前も分類の一部である
ということだ。
ペナン族自身もそれを感じていて
祖父が死んだ時にTupou
父親の兄弟が死んだ時にIlun
という名前になることに対して
名前を「つける」ではなく
名前に「はいる」と表現する。
名前に対して「はいる」は
違和感のある表現だが
クラスに対して「はいる」なら
しっくりくるのではないだろうか。
…
ここにもう一つの結論が出てくる。
「固有の名前の価値は低い」
という話だ。
先程のペナン族の話を
思い出してほしい。
親戚と関係なくつけられる
最初の名前で呼ばれるのは
誰かが死ぬまで=幼いときだけ
である。
これは、
「親戚の構造で名づけられない」
=「クラスの中に入れていない」
からである。
社会の中で、
何の位置も占めていないから
仕方なく、固有の名で呼ぶ
ということである。
…
考えてみると、
私たちも自分のことや、他人のことを、
知らない相手に紹介する時に
社会構造=クラスの中での位置
で示していないだろうか?
~高校の~年生 とか
~商事~部門の係長 とか
家族の知り合いと話すなら
~の息子 とか
~の父 とか
そういったものである。
「私は太郎です」とか
固有名だけ持ち出しても
誰にも何もわからないが
「私は~大学の~学部生です」
と言えば、なんとなくイメージがつく
価値がある『名前』というのは
社会の中での位置を示すものの方
なのである。
…
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