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言葉が私を作っている?
こんにちは、らるです。
今日は、ちょっと難しそうな話…ですが
言われてみると、「そうかも」と
思えた話を紹介します。
人は「ことばによって自己を創造している」
という話です。
哲学者たちはことばづかいに序列を付けようとする。しかし実際の私たちは、より本当らしいものに近づくためにことばを使っているわけではなく、むしろことばを使うことによって自己を創造しているのだとローティは述べています。ことばというものは、単に特定の目的のために使いこなされる道具であるというよりは、それを使うことによって目的自体を設定し、使い手の在り方を表現し、乗っていると思ったら乗っ取られてしまう、そんな極めて特殊な「道具」です。そして、それこそがことばの力だとローティは考えているのです。
哲学者ローティの言葉です。
ポイントは、ここだと思います。
『ことばを使うことによって自己を創造しているのだ』
一瞬、何を言っているかわからなくなりますが
ちょっと考えてみると、そうかも…と
思えてきました。
『使い手の在り方を表現し、乗っていると思ったら乗っ取られてしまう』
とも書いてあるように
例えば、自分のことを「優しい人間だ」と言っていれば
自分の中では、自分は「優しい」ことになりますし
その状況で、他の人から責められて
「お前は本当に優しくないな!」と言われ
自分でも「自分は優しくない」と心の中で言うようになってしまえば
それによって、
自分の中で、自分は「優しくない」ことになります。
人間としての物理的な状態…
(身体の大きさ、身体能力など…)は変わっていなくても
自分自身の在り方が、ことばによって変わってしまう
というわけですね。
これは、個人だけでなく
社会にもあてはまるようで
そしてここにこそ、『偶然性・アイロニー・連帯』の中心にあるテーゼが関わっています。それは、「人間や社会は、受肉したボキャブラリーである」というものです。
「人間や社会は、受肉したボキャブラリーである」
というのが、このローティの書いた
『偶然性・アイロニー・連帯』が
言いたいことだというんですね。
これは中々、面白い視点だと思います。
どんな言葉で表現されているか
どんな言葉で表現し直せるか
それこそが、個人であり社会を作っていく
カギになる…ということなのかもしれません。
「言葉」の重要性をあらためて
認識させてくれる話でした。
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