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【ホラー】自動ブレーキ

 最近の自動車には、大抵の場合自動ブレーキ機能が付いている。
 正式名称は衝突被害軽減ブレーキというらしい。自動車の前方にカメラやレーダーが装着されていて、他の自動車や歩行者などの障害物を検知した場合、自動でブレーキをかけてくれるという機能だ。技術的には20年くらい前から存在していたが、10年ほど前から国産車にも本格的に搭載されるようになった。

 矢須さんは、とある印刷会社で営業の仕事をしている。矢須さんの会社では最近営業に使う社用車を全て最新のモデルに買い換えたそうだ。新しい社用車は全て自動ブレーキ機能を搭載してある。なにせ会社の名前が書かれた車で人身事故でも起こそうものなら事である。
 自動ブレーキは、毎日営業で社用車を使う矢須さんにとっては有り難かった。入社以来20年間、毎日社用車を運転してきて幸いにも事故を起こしたことはなかったが、運転中にヒヤッとした経験は何回かあった。自動ブレーキを過信するのは良くないが、それでも事故の可能性を少しでも減らしてくれるならこんなに良いことはない。
 しかし矢須さんは何となく新しい社用車に居心地の悪さを感じていた。運転席に座るとじっとりとした悪意のようなものを感じるのだ。これが中古車ならば業者に事故歴を隠したりしていないか問い合わせるところだが、新車なのでその心配は無用だった。矢須さんは、仕事の疲れが溜まっているのだろうと気にしないことにした。

 ピピピピッ
 社用車の自動ブレーキシステムが歩行者を検知した。しかし辺りを見回してもそれらしき人影は見当たらない。
「チッ、またか……」
 自動ブレーキが反応したのは会社の近くの交差点だった。交差点といっても横断歩道もないし信号も設置されていない。車通りも少ないので設置する必要がないのだろう。
 外回りを終えて会社に戻る時には、だいたいこの交差点を通るルートを使っていた。近くの大通りは夕刻になると帰宅する車で渋滞するからだ。
 しかし新しい社用車に乗るようになってから、この交差点を通る度に自動ブレーキが誤作動を起こすのだ。しかも朝や昼は問題なく、誤作動を起こすのは決まって夕暮れ時だった。何かシステムが歩行者と誤認識するようなものが置いてあるのだろうか、と見回してみたがそれらしきものは見当たらなかった。まぁ日が沈んで視界が悪くなってくれば自動車のカメラも見えづらくなるのだろう、と半ば言い聞かせるように自分を納得させた。

 一週間ほど経ったとある日の夕方、矢須さんはいつもと同じように営業先から会社へ車を運転していた。その日は営業先から出発する時に自動ブレーキをオフにしておいた。毎度毎度誤作動を起こすのが面倒だったからだ。自動ブレーキが誤作動を起こすのは例の交差点だけだったし、自分で気をつけていれば自動ブレーキなど無くても事故には至らないはずだ。

 例の交差点に差し掛かった時、目の前に急に男性が飛び出してきた。
「うおっ……!」
 慌ててブレーキを踏んだので事故には至らなかった。飛び出してきた男性はペコペコしながら交差点を横断していった。男性はスマホのゲームに夢中で自動車に気付かずに車道に飛び出してきたようだ。こっちも気をつけないといけないな……と矢須さんは思った。もしかして自動ブレーキの誤作動はこれを注意してくれていたんだろうか。確かにあの誤作動のおかげでこの交差点を通る時は人がいないか気を配るようになっていたからな。矢須さんはありがとうと心の中で思いながら自動ブレーキをオンにした。

 次の日、矢須さんは慌てていた。
 いつものように営業に出かけようとしたら、社用車が駐車場にないのだ。社用車は矢須さんの専用というわけではなく、事前に総務部で使用者登録をして、壁にかかっている社用車管理ファイルに使用日と名前を記入すれば誰でも使える。しかし営業部は毎日社用車を使うので、どの車に誰が乗るかというのは何となく決まっていた。

 まぁ営業部以外の誰かが乗っていったのかもしれない、別に誰が乗ろうとルールに則っていれば問題はないわけだし……と思いながら、矢須さんは壁の管理ファイルを手に取った。
 矢須さんがいつも使っている社用車は確かに誰かが乗って行ってしまったようだった。しかし管理ファイルに今日の日付が書かれているものの、名前は書かれていなかった。他の社用車も生憎全て出払っていた。
「チッ……。今日は歩きで行くか……」
 矢須さんは少し早足で会社を出た。誰が乗って行ったか分かれば戻る時間も見当がつきそうだが、それが分からない以上車が戻るのを待っていても仕方がない。どうせ設備部の連中だろう、あいつらは仕事が雑だからな、と矢須さんは心の中で毒付いた。

 その日の夕方、矢須さんは車にはねられて死んだ。即死だった。矢須さんをはねた車はそのまま逃走し、犯人は捕まらなかった。
 矢須さんがはねられた場所は奇しくも例の交差点だった。

 矢須さんと同じ会社の社員によれば、矢須さんは普段営業での移動の際には社用車を使用していた。しかし事故当日は何故か徒歩で営業先へ向かい、帰社の際にも社用車は使用していなかった。これについては、当日の朝に社用車管理ファイルを手にして「歩きで行くか」と呟く姿が目撃されている。
 不可解なのは社用車管理ファイルの矢須さんが普段乗っている社用車の当日の欄には矢須さんの名前が書かれており、矢須さん以外は誰も使用した形跡がないことである。後日社員全員を対象に聞き取りを行ったが、該当の社用車は誰にも使われていなかった。

 矢須さんの事故以降も、あの社用車はたまに使われている。しかし例の交差点で自動ブレーキが誤作動を起こす現象は、不思議なことに事故の日以降ぱったりと無くなった。


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