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渡し賃

 愛知県名古屋市の八事の辺りでは、大正時代に霊柩電車というものが走っていたそうだ。八事には大規模な市営霊園があり、そこの火葬場へ遺体を運び込むために運行されていた。
 とはいえ、霊柩電車が運行されたのは八事から霊園までの500メートルほどの距離だったようだ。

 これは私の大叔父が学生時代に体験した出来事である。
 当時大叔父は八事から少し東に行った塩釜口の辺りで下宿住まいをしていた。風呂なしでトイレと電話が共同使用という古めかしい建物だったそうだ。今の感覚からすると相当不便だが、同じ下宿に住んでいる友人と毎晩酒盛りをしていたので、それなりに楽しい生活だったらしい。

 ある晩、酒をたらふく飲んでふらふら歩いていると、目の前の停留所に路面電車が停車した。
 足元もおぼつかない程酔っ払っていたので、これ幸いと乗り込んで、どっかと座席に腰をおろした。それにしても妙な気配だ。こんな夜中なのに乗客が大勢いるし、みんな辛気臭い面をしていやがる。などと思いながら何とか家にたどり着いたらしい。

 翌朝、二日酔いの頭を抱えて部屋でだらだらしていると、玄関から人を呼ぶ声がする。行ってみると、市電の制服を着たみすぼらしい男が立っていた。
「昨晩の乗車賃を頂きに参りました……」と言うのでいくらか聞くと「六文でございます……」と答えた。六銭か六十銭の間違いかと聞くと、確かに六文だという。そんなお金は持っていない、何かの冗談ではないかと聞くと「では代わりにそれを頂きます……」と手に持っていた文庫本を指差した。当時読んでいた真田幸村の一代記だった。妙な物を欲しがる、と思いながらも、また買い直せばいいかとそれを渡して帰ってもらった。

 そんな話を後日大学の食堂で友人に話すと、友人は「八事から東に向かう電車は霊柩電車といって、ずいぶん前に廃線になったぞ」と言うではないか。そんなわけはない、現に翌日車掌が運賃を受け取りに来た、と言うと「確かに六文と言ったんだな」としきりに確認された。
「お前、六文銭は三途の川の渡し賃だぞ。それに代わりに渡した真田も家紋が六文銭じゃないか」と言われ、では俺は霊柩電車に乗って三途の川を渡ってしまったのか、と震え上がってしまったそうだ。
 その後大叔父は本当に三途の川を渡ってしまったのかというと、今もピンピンしている。しかし真田幸村の一代記はあれ以来買い戻したりはしていないとのことである。

※本作は竹書房怪談マンスリーコンテスト 2021年2月度募集(お題「都道府県の怖い話」)に応募したものです。

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