一杯のコーヒータイム #8
『配信のお芝居は許せない』
そんな言葉を緊急事態宣言以降に聞いた。
まわりでもお芝居の『配信』に否定的な声があった。
どの理由もその人にとって重要かつ死活問題。
ただ、逆にその思いを否定する声も聞いた。
『お芝居は誰のためのものですか?』と。
同じ『お客様のために』でも、みんな立場は違う。
長く続く歴史や、積み重ねてきた個人の経験だってあるかもしれない。
頑固でもなければ、プライドが無いわけでも、捨てたわけでもない。
見せる側の人が配信を否定したからって、お客様に見てほしい届けたい気持ちは今までと何も変わらない。
そう思うのに。
・配信だと、
空気や温度、一体感が感じ(と)れない。
その日その日の微妙な違いや、生きてる芝居が伝わらない。
作品の良さを薄れさせてしまうんじゃないか。
お芝居は生だから見る価値があるのであって、配信だと価値が下がる。
無観客は反応がないのは怖い、拍手が聞こえない。
どう見せたら、どう演じたらいいか心配。
お客様は本当に楽しめてるのだろうか。
今まで以上に劇場に来なくなるのではないか。
・配信なら、
今まで届かなかった場所に届く。
より多くの人が生活の中でお芝居に目を向ける時間が増える。
一つでも一人でも多く、作品や俳優さんたちを知るきっかけが増える。
行けない場所にも行ける。
会えないが"会える"になった。
劇場に『来て』と言いづらかったのが、配信を『見て』と気軽に言えるようになった。
配信の方が見やすい。
健康上、助かる。
・配信だって、
やらないとやっていけない。
良いか悪いか考えてる余裕なんてない。
やれることをやるしかない。
人も場所も失ったらそこで終わってしまう。
待ってる人たちがいるから。
新規を増やしたい。
見せれるのにやらない意味がわからない。
・配信だろうと、
見れない。
見れる時間も、お金もない。
見せる側の努力と自分はイコールではない。
興味がない。
してもしなくてもどっちでもいい。
配信に関して私たち観る側も含めた色んな声を聞いたり見たりしていて、伝わってきた気持ちがこんな感じだった。
その人の人生でお芝居との関わり方は、それぞれ。
一生縁のない人もいる。
こればかりは一人一人『自分の選択』だと思う。
賛同か否定か考えても私には答えは出ない。
たとえ聞かれたとしてその人にとっての『想い』に寄り添うことはできても、どっち派とも関係ないとも言えない。
こんなことを書いてる私も明日はイープラスさんの配信を利用して朗読劇を観る。
会社から休業を申し渡されてる身だから、遊びのためでは堂々と会場に足が運べない。
そんな理由です。
あ~あ。
なんだか熱くなってしまったし、Sサイズでは足りなかったな。
負けました。
今日もコーヒー、ごちそうさまでした。
対戦相手
セブンイレブン さん
豊かな香り いつもの珈琲