川端康成『青い海黒い海』論 1

『青い海黒い海』は1925年(大正14年)の作である。『第一の遺書』『第二の遺書』という2篇に大分され、『第一の遺書』では、主人公と、17歳の年に結婚の約束をしながらもそれを破った『さき子』という女性について語られる。

川端康成の生涯について少しく興味を持つ者であれば、ここで『伊藤初代』のことを思い浮かべることが自然であろう。15歳の時に川端と婚約しながらも、自分には『ある非常』が出来たと手紙を送り一方的に婚約を破棄してしまった女性である。彼女については多くの書籍が出ているのでここでは詳述しない。重要なのは、この失恋が川端にとって大きな衝撃であり、その作品にはっきりとした影を落としたという事実である。

川端は、『南方の火』『篝火』『非常』『霞』といった伊藤初代との失恋を基にした作品を、まるで自らの魂の回復の為に書き続けた。川端夫人が不満のようなことを述べているのも尤もなことであり、いつまでもくよくよと昔の女に拘っていると言われても仕方がない執着ぶりである。『ちよ』という彼女のあだ名がそのままつけられた作品を、出会った1919年に書いた後、彼女との婚約が破綻した1921年を挟んで様々に書き続け、『青い海黒い海』を書いた翌年の1926年には『伊豆踊り子』を書いて新境地を示すが、実に長くこのテーマに拘っていたことが分かる。

無論これは、単に小説の題材として使い易かったという訳ではあるまい。まさしく川端にとっては、『青い海黒い海』の筋にあるように、遺書を書いて自害する程衝撃的な事件であった訳である。

作品を紐解いていこう。
場面は、第一の遺書を残しての自害に失敗して1ヶ月後、河口の砂浜で昼寝をしているところから始まる。新感覚派と呼ぶのに相応しい、流れゆく意識のような描写で、まず2つの象徴が語られる。

1つ目は、帆かけ舟の船頭から「おおい、生きてるのかあ」と呼びかけられて、『この世へ新しく生まれたように私は眼を開いた』場面である。
この主人公は、自殺未遂以後、生と死の間の幻想の中に存在していることがまず語られる。現実から少し浮いたような、幻想の中に主人公の位置を設定する方法は、後の『雪国』などにも見られる川端得意の技法である。

2つ目は、近くで家庭教師をする少女の学校帰りを見つめながら、突然のあくびに対して「あっ。暗闇。暗闇!」と、『ぎらぎら眩しい光の世界で、少女が大きく開いた口の中に、ただ1点の暗闇が生まれたのです。その暗闇はじろりと私を眺めました。どうして私はこんなものにびっくりするのでしょう』と驚く場面である。
この、主人公の『暗闇』への拘りは『黒い海』に繋がるものであるが、それは『第二の遺書』で語られる。

それから、『一枚の蘆の葉』についての思索へと移る。蘆の葉が徐々に主人公の頭の中を占めていき、『その蘆の葉が、河口や海原や島々や半島やの大きい景色を、私の眼の中で完全に支配しているではありませんか。私は戦いを挑まれているような気持になって来ました。そして、じりじり迫って来る蘆の葉の力に押えつけられて行くのでした。』となっていくのである。
『蘆の葉』といえば、『人間は考える蘆(通常、翻訳では『葦』)である』と書いたパスカルの『パンセ』を思い浮かべるのが自然であるが、この時川端の念頭にそれがあったのかは不明である。直前のヨットを見つめるシーンでは『そのヨットはちょっと見ると、若い夫婦かなんかが乗っていそうですけれども、実はドイツ人のおじいさんなんです』と語られており、フランス人のパスカルとは合わない記述であるので、『蘆の葉』は、彼を幻想の世界から強引に現実へと揺り戻そうとする象徴くらいに捉えて置くのが良いであろう。

『蘆の葉』に圧迫された彼は、『思い出の世界』に逃げることにする。

思い出の世界、つまり彼は『さき子』のことを思い出す。17歳の時に自分との約束を破ったさき子が、20歳になったことに思いを馳せるのである。
『私はきさ子が十七の年から後きさ子に会っていないのですから、私にとっては、きさ子は二十になっていないとも言えるのです。いいえ、このほうが正しいのです。その証拠にはその時もちゃんと十七のきさ子が小さい人形のように私の前へ現われて来たではありませんか。けれども、この人形は清らかに透明でした。そしてそのからだを透き通して、白馬の踊っている牧場や、青い手で化粧している月や、花瓶が人間に生まれようと思って母とすべき少女を追っかけている夜や、そんなふうないろんな景色が見えるんです。その景色がまた非常に美しいんです。』

この描写からは、彼にとって『思い出の世界』が、蘆の葉に強いられて目を向ける現実世界よりも、遥かに美しく理想的であることが分かる。さき子への怒りは感じられない。彼はただ、その思い出の美しさを味わうのであるが、同時に『すると私は、自分というものがぴったりと鎖した部屋一ぱいの濁ったガスのように思えて来ました。もし扉があるなら、直ぐにも明け放して、きさ子のからだのうしろの美しい景色の中に濁ったガスを発散させてしまいたくなりました。生命とは、ある瞬間には、ピストルの引き金をちょいと引く指の動き、ただそれだけのものにすぎないのですからね』

つまり彼は、理想的なさき子との思い出の世界に浸りながらもさき子自体は彼と同じく現実、つまりガスの背景を持った存在であることを知っている訳である。そしてそれを暴くことにも、少なかず興味を持っている。

場面は、さらに象徴を虚ろう。

突如死んだ彼の父親が、『ほとほとと扉を叩いて』やってくるのである。
扉の中から父を迎えるのは、幻想としての『小さい人形のようなさき子』である。父は彼女に「私は忘れものをした。この世に息子を置き忘れた」と言い、「人間の頭の扉には鍵がございません」、「『生と死の間の扉』も「藤の花の一房で開くことができます」というさき子の言葉に従って部屋に入った後、鏡台に置かれた化粧水を目にして「あれだ、私の忘れものは」と呟く。

『さき子』に明白なモデルがある以上、この父にも基になった人物を探したくなるが、周知の如く、川端は幼い頃に両親を失っている。この作品の父も、主人公=化粧水に向かって、「お前が生まれない前にお前と別れた私は、二十六のお前を一目見たばかりで、こんなにも素直に、私の忘れものよと呼んだではないか」と話しかけていることは、死に別れの父という川端の実体験を基にしていると見ることが出来るだろう。しかしこの父は、『理性』の化身であると捉えるのが自然であると私には思われる。さき子に対しての「お前は透明ではないか」という言葉は、理性の幻想に対する言葉だと見えるし、主人公に対しての「この部屋はなかなか立派だ。一人の女がこの部屋から消え失せても、空気が一そよぎもしないほど立派だ」だという言葉にも、幻想を過小評価する理性の気配が窺えるからである。

たんぽぽと陽炎を幕間にしながら、物語は突如りか子との会話に虚ろう。
いきなりりか子への失恋の場面である。

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