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【器を買った理由集】人はなぜ器を買うのか。必要だからだ。

人はなぜ器を買うのか。必要だからだ。これを読んでいる人で、器を使ったことの無い人はいるだろうか。恐らくいないだろう。それほど器は生活において必要とされている存在なのである。

では、私はなぜ必要量を超えて器を持っているのか。それは未だ謎に包まれている。器はなぜ此処にあるのか。どうして狭い6畳のワンルームに置いてある小さな棚の中に入った収納箱の中に集められたのか。

それを確かめるべく、「器を買った理由」を一度振り返ってみよう。



千鳥型小皿

ここ数年、美術展などでも「ヘタウマ」が人気だが、器にもヘタウマはある。

上手なものと並べてみると分かりやすい。器の造形が整っていない。型から外したときの処理が甘く、縁の厚みがまちまちで輪郭がガタガタだ。というよりは型から外すのがたどたどしく、もはや形が歪んでしまっている。かわいい。

絵付けもシンプルなのに、縁の方などがはみ出してしまっている。目もだいぶつぶらだ。

この下手さを見ていたら、「師匠のを見本にして一生懸命作ったのかな」って愛おしく思えてしまって、それで手が伸びてしまったのだ。これは誰もが納得の購入理由だろう。整っているものばかりが美ではない。


銅判花と唐草文煎茶碗

ずっと見ていたら「あ〜、これかわいいな」って。「あ〜、こいつかわいいとこあんじゃん」って。

もちろん、自分が良いなと思ったからプレゼントにしようと決めたんだけど、自分も欲しくなるとは思わなかったな。魅力的なものをずっと見ていると危ない。


飛びかんな猪口

他の器を選んでいたときに、店員さんが麦茶を出してくれた。その麦茶が入っていたのが、この猪口ってわけ。

この角度にやられた。

商品棚に並んでいる状態では「買いたいまではいかないけどかわいい」という印象だったが、いざお茶が入るとなんとキュートな。実際に使っているのを出されてしまうと、食器としての能力の高さを見せつけられてしまい、ずるい。

ちなみに、これを使うときはお酒を飲むことが多い。わざわざ言わなくても分かるだろうが、最高なのである。酒を口に含み、猪口を眺めているといつの間にか時間が過ぎている。


ダルマと蚊図小皿(八百勝商店ノベルティ)

ダルマが描かれる器はしばしば出会うが、そこに蚊がいるのはなかなか見ないはずだ。初見時の反応は「え?」である。蚊がいることに軽く驚いた。しかも割としっかりした蚊だから、描かれていることに「なんで?」と思った。

ここまででは、まだ買う気になっていない。決定打は、

微妙に形の違う同じ絵付けの皿が、積んであった山の下から登場したのだ。他のが出てきた時は思わず笑ってしまった。何で微妙に違うんだ。揃えろよ。

裏面を見ると「八百勝商店 南久保町通」と書いてあり、明らかにノベルティグッズである。身近なところでいう会社の名前の入ったタオルの役割だろうか。考えてみれば、今でも保険会社がキャラクターの器を配っているから、それの類なのだろう。

これをノベルティとしてもらって嬉しいか?というと、あんまり嬉しくないんじゃないだろうか。それでも配ってしまう八百勝商店、私は好きだよ。


染付獅子図六角小鉢

真ん中のキャラクターがかわいすぎた。

威厳を知らない顔

獅子である。こういうときの獅子は百獣の王・ライオンと同じだという説と、ライオンとは関係のない神獣だという説がある。どちらにせよ、顔!大丈夫か!それで!


色絵獅子図小皿

またしても獅子である。

顔!大丈夫か!それで!


染付竹林雀図向付

正面には竹が描かれていて、なんてゆるい竹なんだ!と手に取り、くるりと後ろ側をチェックする。

マンボウではない

このペラペラないきもの、なんと雀なのだ。竹といえば雀。それが世の理。覚えておくんだよ。

私はこの雀のかわいさに、何度疲れを癒してもらったことか。癒しグッズである。もはや器ではない。「器」の器を超越している。


染付雲鶴図小皿

これは枚数があるので、ひとまずご覧ください。

上段左から、①②
下段左から、③④

①②は同じ人が描いているのか、ほとんど一緒である。③は、①②に比べて首に骨が入ってなさそうだが、まだ分かる。同じものを共有している気がする。

④、この絵師だけは協力的でない。自分の個性を出しすぎている。もうちょっとさ、寄せようと思わなかったの?

もしかすると、他の絵師が共有していた絵を見せてもらえなかったのかもしれない。言葉だけで「こういうやつ」って説明されて、それで描いたのかもしれない。だとしたら健気だ。えらいよ。こんな図太い線ではっきりと描き上げるなんて。泣けるよ。

もしくは工房がおおらかな人の集まりで、誰も何も思わなかったか。なんにせよ、これを同じ絵付けとして扱うには少々無理があるのでは?


色絵大黒様図小皿

ヘタウマ枠と思わせておいて、オモシロ枠。鎌の金彩が光りすぎていて、その輝きのために私は心を奪われました。

角度をつけて、金彩に光を反射させると、想像を遥かに超えた輝きをみせる。

このおっとりとした表情とふくよかな体型、そこに鋭利な刃物が加わると一気に狂気を帯びる。このギャップが面白すぎて、手放せなくなってしまった。


大黒様型小鉢

顔面型の小鉢はあっちゃダメだろ。ダメは言い過ぎか。ごめん。

自分の顔をヒタヒタ触れば分かるだろうが、触らなくても人生をある程度歩めば経験として知っているだろうが、人の顔面は窪んでいない。鼻が一番飛び出ていて、ボールのようにまあるい。ところが、この小鉢は人面なのに空気の抜けたボールのように中央が窪んでいる。なぜなら、これが小鉢だからだ。

中央が窪むと何がダメかというと、そこに食べ物を流し込んだ時、周りしか見えないので元々が何だったか分からないことだ。

動物型やキャラクターの顔型の器を見かけるが、あれは食事をのせても可愛い。食べ終わった後に顔が見えるのも良い。

ただ、それが一度大黒様になってごらん。食べる前は何のこっちゃ、食べ終わったら人面。想像するに恐怖ではないか?ケチャップなどの赤いソースが残っていたら……あまりにも……!

そこまで含めて面白くて買ったのだが、案外使いやすいサイズで出番が多く、非常に困る。私は趣味を疑われる前に、別のかわいい小鉢を買うべきだ。


織部おたふく型小皿

実はおたふくの顔面もある。

食べ物をのせるもので遊ぶな



銅判高砂図小皿

おじいさんとおばあさんがどうして分身しているのが全く理解出来なくて笑ってしまう。なぜ分身させられなければならなかったのか。

のち、私は納得のいく回答を得た。これは『高砂』という能の謡曲を題材とした図柄であり、その内容によるとこのおじいさんとおばあさんは松の精だという。精霊かあ、じゃあ仕方ないね。

するのか?精霊に出会ったことがないので分からない。

『高砂』は長寿を意味する縁起の良い図柄なのだが、中央の鶴も長寿を象徴するモチーフで、なんとなく強くなれそうな器だ。強くなれる理由を知った。


銅判舟漕ぎ人物図小皿

よく見れば、ここに描かれているのが「舟を漕いでいる人」なのは分かるが、あまりにも多い。

舟を漕いでいる人(1人)

20人いる。きみは分身しすぎ。


籠目に鶏図浅鉢

運命には抗えない。それが人生。どうして運命だと思ったか、それは出会ったタイミングがよすぎたのだった。

実は、この器に出会う数日前、別の器に一目惚れして、共同生活を始めていた。

染付籠目に鶏図小鉢

まず、我が身に衝撃を与えたのは、籠目に鶏が書かれた小鉢だった。中央の鶏の力の抜け具合。ああ!好きです!ありがとうございます!

それから数日後、一目惚れしたものに似た別のものが現れる。

こりゃ、運命でしょ。イタズラでしょ。


青磁白菜型皿

これは明治後期〜大正期だった気がするが、「アンティークものです」と言われてコレが出てきたら、買わない理由が無くないか。ありません。

なにより白菜の再現度が高すぎる。全てが白菜に包まれる経験が出来ますよ。サンチュとかのせたい。最終的に白菜に包んで食べるふりして普通に肉食べたい。肉が食べたい。



ということで、買った理由を並べてみたが、我が家に器が多すぎるのは、私のせいじゃないのではなかろうか。器の魅力が強すぎるのである。器が私を呼んでるだけだ。

私は器達から、出会ったからには手に入れないと後悔するぞって脅迫をされている。そうして彼らは私の元にやってきたのだ。それから、狭い家の貴重なスペースを占領している。



>投稿時のコメントに、動機が曖昧だったため導入とまとめの文章が思いつかず悩んだと書かれていました。
なるほど、おっしゃるとおり、すばらしい内容をどう収納して見せようか迷われているの、感じます。

古賀さんのコメントより

迷っているのがバレていて照れるな……


めでたし、めでたし。と書いておけば何でもめでたく完結します。