愛しているフリをしてるって思っちゃった瞬間にそれが愛ではなくなった

何かしらの講義を受けたいなあと思った三十分後に、何かしらの映画を観たいなあと思ったので映画を観た。プライムビデオで。小さい画面で映画を観たというと映画ファンに怒られそうだが、アイドルが好きでもコンサートよりDVDの方が良いという人もいるはずだ。知り合いの映画好きは、映画館が好きで行くが、演劇を劇場で観る良さが分からんと言っていたから、色々と難しいのがある。

結局何でも好き興味があるという人のが愛嬌があるのだ。敵わない。甘いものも辛いものも酸っぱいものも美味しく食べてくれる人は、そうでない人に比べてより多くの人に好かれるものだろう。この話は広げなくていい。


映画を観た。『9人の翻訳家 囚われたベストセラー(字幕版)』。字幕がないと観れないタイプの映画。耳の聞こえ具合という意味ではなく、使用言語が私と違うため。適当にホーム画面をスクロールしていたら出てきたから再生した。ずっと気になっていたということではない。今日初めて知った。

私は基本的に見たものを面白いと思うタイプなので、あまり深い感想を言えるわけではない。以前も書いたが、直接映画の感想を言い合う的なことが苦手なので、直接感想を聞かれた場合は「目が青かった〜」とか言っちゃう。


保身的な前置きをしたところで、安心して感想を述べる。この作品は創作に関する話である。これから本筋とは離れたところのネタバレをする。

女性翻訳家が、小さい頃から小説家になりたいと思っていて、子供や夫と離れた暮らしをしている時期に小説を書き進める。書き終わる前に出版社の社長にそれが見つかり、読まれ、「君は小説の才能がないからやめた方がいい。」と言われ、書いたものを暖炉で燃やされる。
「才能が無いことから目を背けてきた。それを家族のせいにしてきた。子供は夫が欲しいと言ったから、喜ばせたくてつくった。私はいつも誰かを喜ばせたかった。子供も夫も自分のやりたいことの邪魔だと思っていた。私は家族を愛していない。」
彼女は自殺をした。彼女の机には、子供や家族の写真がたくさん並んでいる。

重大な事件ではあるが、この話には直接必要のないストーリーである。レビューでは、この一件のせいでストーリーの一貫性が失われていると言われてもいる。言われてみれば確かにそうだが、ここに結構大事なメッセージを込めているんじゃないかと思った。そのメッセージが何なのかは置いといて、私が考えたいのは、この女性翻訳家は本当に家族を愛していなかったのかということだ。


「自分のやりたいことが家族によって出来なくなっていて邪魔に思っている」というのと、「だから家族を愛していない」というのは、直線で結ぶべきことではないんじゃないかという話である。別の問題な気がする。彼女にとって結果的に自己否定になる事柄が重なったというだけで。

と言ってはみるが、愛するというのは別の具体的な事柄を引っ張ってこないと語れないようにも思える。時間を割くこと、美味しいものを食べて欲しいと願うこと、何かをしてあげたいと思うことなど、行動を証拠として「だから愛している」と言っちゃいそう。行動と気持ちは別だろうというと、かなり話がこじれてしまうから、あんまり持ち出したくはないなあ。でも実際に行動と気持ちが別になることってあるよなあ。雰囲気に流されて……みたいなさあ。

社会の常識も関係してくるかも。一緒に居たくないけど愛している、は他者の理解が得られないから愛ではないと言われてしまう。一夫多妻のように、一度に複数人を愛することが受けれられている社会であれば、一夫一婦では不倫だと言われることも、純愛だねと言われるのかもしれない。純愛とは?


理由が欲しいのか、愛していると言える証拠になるような。愛するってそのように自分で思っているからそうである、みたいな側面があると思っていて、そう考えるとデスクに家族写真をたくさん並べるのは愛なんじゃないか?と、その場面を見た時に思ったのよね。でも、愛しているフリをしてるって自分で思っちゃった瞬間に、それが愛ではなくなったってことかなあ。

とすると、この物語に出てくる女性は最終的に家族を愛していなかったことになるなあ。いつかどこかで何かを諦める必要があって、愛のためにそうした、と自分以外の誰かのせいにしちゃったら、まあ確かにそれは愛ではないような気がする。弱さを受け入れたり自分を甘やかしたりするのは、結果的に他者を愛する気持ちを守ることに繋がる?

なんかだんだん愛は双方向なものだって感じがしてきたな。最近した自己愛に関する話もそんな感じだった。



それはそうと、創作の話をしておこう。カクヨムで投稿している天使と悪魔の話をストーリーズにあげたら、それを読んだ友人からコメントが来た。嬉しい。稚拙な部分は自分で反省するとして、身内から褒めを貰えるのはありがたい。「面白かった、、一話から読みました、、」「例え話がうまい。気持ちを相手に理解できる言葉にする力が素晴らしい。あと単純に言い回しが好き」なるほど、そう読まれているのか。

「気持ちを相手に理解できる言葉にする」に関しては、確かにあんまり悩んだことが無いかも。うーん、結局こちらが思っているのと近いところまで伝える事しか出来ないから、これで完璧に伝わるわ!と思っている訳ではない。とはいえ、他の人と言葉の感覚が近いって事なら生活が楽ですな。

例え話がうまいのと言い回しが好きなのはとてもよく分かる。私もそう思う。


めでたし、めでたし。と書いておけば何でもめでたく完結します。