満開の桜と隣の木に引っかかったままの凧で歌を詠みたい

桜咲く隣で引っかかる凧
という自由律俳句を思いついたんだけど、語感がイマイチなのでもう少し綺麗にしたい。

「桜咲く隣で」までは良いと思うんだよ。で、最後に体言止めで「凧」はとても良い。「桜咲く隣で(動詞など)凧」の形でいきたい。ここに入る語の候補を挙げるか。

引っかかる、たなびく、尾を引く、絡まる、ばたつく、はためく、木にいる、バタバタと、もがく、挟まる、とまる、先輩面する……


桜咲く隣で木に居る凧見て気に入る私
やばい、どんどんダジャレができてく。まあいいか、掛詞はダジャレみたいなもんだし。いや、これはラップなんじゃないか、もしかすると。今時の小学生は休み時間にラップをして遊んでいるらしい。こういう韻の踏み方は結構ナウい可能性がある。これ一人称なんでもいいんだよな。「それがし」でもいい。「我」はちょっと気持ち悪い。いやー、待てよ。これ声に出して読もうと思うと、「桜咲く/隣で木に居る/凧見て気に入る/私」で切れちゃうから、なんか嫌だな。美しくない。

桜咲く隣の木に居る凧見入る
「隣で」を「隣の」に、「気に入る」を「見入る」に変えてみたが。声に出した感じはこっちのが良いかも。「きにいる」を繰り返さなくても良いのかも?理想はひとつの「きにいる」を使って「木に居る」と「気に入る」の両方が掛詞になるのが良い。となると、「凧きにいる」を最後に持っていくのが良さそう。

桜咲く隣凧きにいる
こうなると微妙じゃない?違和感が悪い方向に働いている。


桜咲く隣でもがく凧
これ結構好きだなあ。「もがく」の情景がとても良い。正月からずっともがき続けて、取れずに四月まで来てしまった感じ。旧暦の春終わるじゃん。

咲く桜の隣でもがく凧
これも悪くない。AIの抑揚のない声で言って欲しい。


「桜咲く枝の隣の」系も有りかもな。桜の隣に凧がある感じ。凧視点。

桜を見上げずにいる凧
桜傍目にはためく凧
桜傍目に凧がはためき
→桜傍目に凧がはためき瞼またたく
→桜傍目に凧がはためき私まばたき
はためく凧傍目には桜
花の雲に浮かぶ凧

「桜傍目に凧がはためき私まばたき」のお〜いお茶川柳感。こういうのが採用されるんだよ、偏見だけど。悪くないぞ。「花の雲に浮かぶ凧」は桜の木に引っかかっちゃってるから語弊があるんだよなあ。

もがく凧横目に笑顔の桜
凧の心知らず散る桜
散る桜と三月(みつき)留まる凧と
凧を横目に満開の桜花
落ちる桜落ちれぬ凧

この観点面白いな。地面に降りる桜の花びらと木に引っかかって落ちない凧の対比が良い。「凧の心知らず散る桜」の意味が分かるとスッキリする感じ、言葉少なくして多くを表現するとよくある現象。「落ちる桜落ちれぬ凧」淡白だが味わいがあるな。塩むすびのような句だ。


紀貫之(古今集)
桜散る木の下風は寒からで空に知られぬ雪ぞ降りける

これも使えそうな視点だ〜。桜を雪に例えるやつ。んん?いや、難しい。いざやってみると難しいぞ。本歌取りでどこか丸々もらおうかな。「桜散る木の」「雪ぞ降りける」あたりを貰うか。

桜散る木の横凧は降りられで何も知らぬ雪ぞ降りける
ああ〜。なるほどね。本歌取りの良さが全然無いかも。本歌取りの良さは、本歌の一部の引用で本歌の意味を全部持ってこれることにある訳で。となると、「桜散る木の」「雪ぞ降りける」のどっちかが要らない、もしくは、もっと削れる可能性がある。うーん、言葉選びは悪くなさそうなんだがな。いや、これがベストなのかもしれないな。今の私には。本歌取りをするならこれなのかも。図らずも俳諧ができてしまった。「何も知らぬ」か「素知らぬ顔で」かで迷っているが、判断が難しい。一旦「何も知らぬ」で行こうかな。

逆に、下の句全部もらってきて「空に知られぬ雪ぞ降りける」だけで桜が散っている情景を本歌から賜るか。

凧あげてそのまま側に桜咲き空に知られぬ雪ぞ降りける
凧あげていつの間にやら桜咲き空に知られぬ雪ぞ降りける
正月に凧凧上がれ引っ掛けて空に知られぬ雪ぞ降りける
正月にあげたる凧のすぐ側で空に知られぬ雪ぞ降りける

ん〜やっぱ難しい。


一旦考えるのをやめて、好きなやつだけ拾ってこよう。

桜咲く隣の木に居る凧見入る
桜傍目に凧がはためき私まばたき
はためく凧傍目には桜
もがく凧横目に笑顔の桜
落ちる桜落ちれぬ凧
桜散る木の横凧は降りられで何も知らぬ雪ぞ降りける
正月にあげたる凧のすぐ側で空に知られぬ雪ぞ降りける

結構あるわ。韻踏み系を量産したせいか、そういうのばっかしになってる。え〜困ったな。良いのばっかりある。うわ〜〜〜決めきれない。一旦寝ないと決めらんないかも。

おやすみ。


めでたし、めでたし。と書いておけば何でもめでたく完結します。