ある程度無限にジェンダーが存在するってことは、広く世間に知られるべきだなあ。

身体の性が同じ男性でも「女の子に見られたい」トランスジェンダーと「女の子に見られたくない」男性が同時に存在するの、難しい世界だなあと思う。髪を伸ばしてメイクをして、時勢的にもマスクをして、歩き方も話し方も女性になろうと気を配っているのに、簡単に「お兄さん」って言われてしまうのが苦しいと言っている人がいる。その一方で、特に何もしていないし声も低いのに「お姉さん」って間違われて嫌だと言っている人がいる。どうしてこの世界はこうなんだろうって思っちゃう。

どっちのケースも他者に悪意が無くて、素直に接した結果そうなったってだけなのが、怒りのぶつけ場所がなくて辛いね。おじいちゃんとおばあちゃんの見分けがつかないみたいなテンションでコミュニケーションを取ってるだけなんじゃないかな。きっと。

まあジェンダーに対する理解が進んでないっていうのはあると思うけれど。女性になりたい男性=いわゆる「オカマ」ではないのに、そう考える人も少なくないんじゃないか。笑いを取ってくれる、肝が座っている、押しが強い等の特徴を持つ「オカマ」は氷山の一角でしかない。普通に「自分は女性だと思っているけどなぜか男性の体で生まれてきただけ」だから、そのままで「自分は女性」と認識していて、男性と勘違いされるのが嫌だって人もいる。そう聞くと確かに私が異性と間違われて、そのように呼びかけられたらモヤっとするな。

と考えていくと、一番最初にあげた「女の子に見られたい」トランスジェンダーと「女の子に見られたくない」男性は、同じ心理状況だってことが分かる。どっちも性別を強く認識してるんだね。その点、自分のジェンダーは「無い」って考えている人は、どの呼びかけにどう感じるんだろう。


井手上漠さんはInstagramのストーリーズで「ジェンダーは?」ときかれて「無!」って回答をしていた。このひとは「私は私」という認識が強くて、他者からの認識にあまり影響されないように見える。ジェンダーが「無い」と自認している人の中でも、その認識が強い人と弱い人はいるだろうし、突き抜けて「これが私」って言えない人もいるだろう。

他人からどう思われるかを気にすることが、自分を作り上げるのに役立つ人もいるし、逆に自分がどんな人間なのか見失う原因になる人もいる。他人の目が無くてもちゃんとできる人がいて、他人の目がないとちゃんとできない人がいるみたいな。自分がこうだと思ったことを、他人が同じように認めてくれないと不安になる人が多いから、他人がどんな態度を取るかがカギなのかな。

やっぱり、無限にジェンダーが存在するってことは、広く世間に知られるべきだなあ。10人に肯定されても1人に否定されたら、それだけで分かんなくなっちゃうかもしれないし。

難しいんだよな、ずっとそうだと思っていたことを崩して、また別のものを作り上げるのは。時間をかけてじわじわと、そうなんだなあって思うしかない。LGBTTQQIAAP、これだけでも長いのにここにも当てはまらないジェンダーがまだあるんだから、もう何がきても驚かないぐらいの心意気でいたいね。


めでたし、めでたし。と書いておけば何でもめでたく完結します。