野性人宣言 

 思えば、私は正しい道を進んできただろうか、いや、大学受験ということを考え始めてから私の人生は下降路線をいってしまったのである。いつも、こう思う。大学受験とか、就活とか、バイトをしているたびに、感じる、システムのなかに入れない自分がいる。要するに、私は、鈍くなかったのである。複数のことをやり通せる人物ではとうていなかったし、受験に限って言えば、暗記なんてまったくもってしたくもなかったのだ。暗記をすると、脳のリソースが増えてしまう。回路を増やせば、より、脳の複雑さは増してしまう。受験勉強が害悪だと思うのは、自分にとって、目的意識がない知識を付してしまうということである。それでは、ゴミといってはなんだが、私の脳のリソースのなかでは、必要のない複雑な回路を足してしまうことになるのだ。大学受験に合格して、大学に行くのは世間一般からすると、いいことなのかもしれない。しかし、私には、その試練を通れる門が開かなかった。というか、生来の怠け癖と、プライドの高さによって、とてつもない高さの壁を自分から作って四苦八苦していたのであるが、こう、扉を開く条件の高そうな場所が元来好きであった。だって、そこに入ったものの将来は明るいのだから。でも、私の場合においては、なぜか、挑戦しても挑戦しても、運も向かない。まったくもって、味方はいなくなるのである。受験時の女運の悪さといったら、酷く、ひどい女ばかりひっかけてしまった。だが、受験をすぱっとやめると女運がよくなるのだ。天が、お前は文明人なんかじゃないんだよと、言ってくるかのように。お前は到底、上から課されたものなんて出来やしないし、勉強もやりたいことしか頭に入ってこないのさと。ああ、大学行きてえなあ。と思ったりもする。でもさあ、この年で、すが秀実を読めてしまってからは、あれ、大学で身に着ける読解力身についちゃってないと悟ってしまう。これは傑作だ。いや、世紀の馬鹿なのか。
 アメリカのハーバード出(日本人はハーバード好きそうだよね)のエマーソン博士は、このようにいった。大人物は大学では生めない。野良から生まれるみたいなこと言ってたなあ(本当はもっとしっかりした文です)。私は大人物にはなってはいないが、なりたいと思っている人間である。よし、なら、野良でええやんけと。なら、このエマーソン博士のいう野良から出てくるというのは、大学出のする考えるとは、頭だけであり、身体を体全体を使っていないからだというようなことを言ってたなあ。野良といったら、エリックホッファーだろう。日本なら中上健次とか。日本最後の文豪が、高卒なのが、割と、この中上の凄みを感じる。その話は置いておいて、私は、野良でいきようと思うばかりなのだ。大学は、私は、お金ないし、お金出す割には、返ってくるものも少ないと私は思っている。理解してもらおうとは思わない。私の相性が合わなかっただけだ。だが、大学にいくことが無意味とは言わない。むしろ、人生を広げられるかもしれない。ただ、私にはお金がないのである。なら、奨学金があるという人もいるだろう。しかし、借金してまで、大学に通う意義を私は感じなかった。それだけのことだ。大学に入って、手に入るものといっても、大学は、民主化してしまっていて、質の高い講義は、本屋で借りられるし、図書館に置いてある。残るのは、コネと呼ばれるものくらいだろう。

私は、風俗で働いたり、バイトで、予定を埋めて、人生の大切な四年間を大学に売ってしまった人を見てきたのだ。働いてなくても、大学を出たら、借金だらけ。

作者不詳

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