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🔶私の好きな奈良:菅原道真のルーツを訪ねる 土師氏と奈良・菅原天満宮

みなさん、北野天満宮や太宰府天満宮、防府天満宮はご存じですよね。
優れた学者であった平安時代の貴族・菅原道真氏を、学問の神様としてお祀りしている神社で、受験の際に合格祈願に訪れた人も多いのではないかと思います。

今回は、天満宮の祭神である菅原道真について、そのルーツを含めて探ってみましょう。

天満宮とは

天満宮は、「天神さん」という名でも親しまれていますが、全国にいくつあるかご存じですか?
なんとその数、約1万2千!
「神社」や「寺」の様な一般名詞、総称ではなく、あくまで平安時代「菅原道真」という実在の人物を祭神としてお祀りした、特定の神社を指しています。

なぜ一人の人間が、ここまで神格化されて広がったのでしょうか。
ご存じの方も多いかと思いますが、簡単にまとめます。

平安時代初期、宇多天皇に重用された道真は右大臣にまで昇進しますが、対立する藤原氏、藤原時平の讒言(ざんげん)により大宰府に左遷されたとされます。道真が大宰府で没した後、時平一族の不幸が続くなど異変が相次いでおこり、極め付きは宮中清涼殿に雷が落ち焼死者が出ました。人々は恐怖し、道真の怨霊を鎮めるため祭神として祀ることになりました。

昔の日本には、このようなお話がいくつもありますね。
奈良でいうと、長屋王の祟りが有名です。
(ここでも祟られたのは藤原氏でした…)

後に、怨霊の記憶が薄れ、生前の道真が学問に秀でていたことから、学問の神様として信仰される様になります。

天満宮という名は、没後約2年の905年頃に神格化された道真に与えられた「天満大自在天神」という呼称から来ています。清涼殿落雷事件は930年、北野天満宮の名称は987年ですから、それよりかなり後の事ですね。

菅原氏のルーツは

その菅原氏、もともとは土師(はじ)氏といい、古墳造営など土木系の技術や葬送儀礼に関わった氏族でしたが、奈良時代に菅原姓に改姓したことがわかっています。

日本書紀によると、土師氏の祖先は天穂日命(アメノホヒ)の後裔と伝わる野見宿禰で、垂仁天皇(第11代、紀元前後を挟んだ期間に在位とされる)の皇后・日葉酢媛命が死去した際、それまで従者らが殉死として生き埋めにされていた慣行に代わって埴輪を埋めることを発案したことで、土師職(はじつかさ)と土部臣(はじのおみ)姓を賜ったとされます。

ヤマト王権の時代には巨大な前方後円墳が造られていましたが、大王を中心とする中央集権体制が進むにつれ、権力の象徴としての古墳の意義が少なくなってきました。大化2年(646年)に薄葬令が出され、また7世紀後半に貴族の間で火葬が採用されると、土師氏は葬送氏族としての勢いを失っていった様です。

土師氏の改姓と、学業への貢献

時代の流れを感じ取った土師宿彌古人(菅原道真の曽祖父にあたります)は、将来性のない葬送関係官人の地位に拘泥せず、一般の律令官人としての前途を広げるために、改氏姓を願い出ました。この際に、居住地の大和国添下郡菅原邑(現在の奈良市)に因み、菅原宿禰姓が与えられました。

菅原宿禰古人は儒学を学び学問に優れ、桓武天皇の侍読(じとう)となりました。子の清公は空海らと同時期に唐に渡って学び、従三位左京大夫(今でいう東京都知事クラスでしょうか)に昇進。その子の是善(道真の父)はさらに菅原氏では初の参議(今でいうと内閣の構成員クラス?)となりました。

道真の祖父である清公は、菅家廊下と呼ばれる私塾を創設するなど、文章道(もんじょうどう:主に中国の詩文および歴史を読み、漢詩文を作ることを学ぶ、律令制の大学寮で教えられた4学科の一つ)を家業としました。以後も菅原氏は学業により朝廷に仕え、文人・学者を多く輩出することになります。

日本最古の天満宮

さて、冒頭の写真にある神社は、奈良市菅原町にある菅原天満宮です。

奈良市菅原町にある菅原天満宮

927年成立の延喜式神名帳では、大和国添下郡に「菅原神社」と記載され、式内社にの一つに数えられています。神社のホームページによると、菅原家発祥及び生誕の地である菅原天満宮と、終焉の地である太宰府天満宮、及び京都の北野天満宮は最も重要な神社とされ、この菅原天満宮が日本最古の天満宮とされています。

確かに、清涼殿落雷事件は930年、北野天満宮に神として祀られる様になったのが947年(天満宮の名称は987年)ですから、それより前から菅原の地に式内社としての社格が確立しているこの神社の歴史が古いことは間違いないようです。

残念ながら、その割には京都や大宰府、防府に比べると地味で、知る人ぞ知るという存在になっています。このあたりはもう少し認知度が高まる様に、周囲が盛り上げても良いのではないかという気がしますが、如何でしょうか。 

菅原天満宮と鷽(うそ)替え神事

各地の天満宮では、「鷽替え」という神事が行われています。

菅原道真が大宰府に左遷された翌年1月、神事をされている時に、寒中にも関わらず無数の蜂が襲来しました。そこに鷽(うそ鳥)の群れが飛来し、蜂を追い払い参拝者をを救ったことから、天神信仰では鷽は幸運を招く鳥として認識される様になりました。

この神事では、参加者は木でできた鷽を持ち、「かえましょ、かえましょ」の声とともに木鷽を交換します。このことで、前の年に知らず知らずのうちについたすべての嘘を、天神さまの誠の心に取り替えることができると言われています。

多くの天満宮では1月に行われるこの神事ですが、菅原天満宮では道真の誕生日である6月25日に行われています。

皆さんも、道真公の誕生に由緒のあるこの神社を、一度訪れてみては如何でしょうか?


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