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母の雲

これは去年の秋に下書きで書いてたものです。
修正して記事にしています*

去年8月に母の一周忌を迎え、住職さんが持って来てくれた「お塔婆」をお墓に納めに9月のお彼岸に淡路島のお墓へ向かいました。

天気予報は生憎の雨

けれど淡路島に入った頃から雲がだんだん流れて行って太陽が顔を見せてくれた、タイトルの写真はその時に撮ったもの
母の戒名には「雲」という文字が入っているので私は外に出るといつも雲を探す

ママ.....

そっと呟く

“出来るだけ嘘がないように
どんな時も優しくあれるように
人が痛みを感じた時には
自分のことのように思えるように

正しさを別の正しさで
失くす悲しみにも出会うけれど

水平線が光る朝にあなたの希望が崩れ落ちて
風に飛ばされる欠片に誰かが綺麗と呟いてる
悲しい声で唄いながらいつしか波に流れ着いて
光って
貴方はそれを見るでしょう”

back number 水平線より抜粋

車中から見える海を見ていたら水平線の歌詞が浮かんで涙が出て来た
塔婆はその時の法要の時にしか故人の魂は入らない、だからただの戒名が書かれた大きな木の板なんだけど私は半紙に包んで上の方だけ少し「顔?」が見えるように抱き抱えていた

マミー見える?
綺麗だね、一緒に淡路島来たよ
おばあちゃん待ってるよ

母が一緒に行きたいと言っていたお墓参り
車椅子になって一度だけ介護タクシーで行ったけれど、なんせお寺の敷地にある小高い丘の上
とても苦労してお墓まで行った記憶がある
それから以後は私がお彼岸やお盆には1人で参る事が通例になって行った

ありがとう、疲れたやろぉ?
おばあちゃん喜んでるわぁ、と帰って来た私の手を握って自分の頬に擦り寄せて何度も何度もありがとうね、と呟く母

空を見上げて雲が出てるとマミーがいると思い、見つめてるうちに自然に涙が出る

悲しい顔はしないように
マミーが心配しないように
そう思うけどなかなか乗り越えられない

海外のドラマを常に観ている私はとても興味深い台詞を聞いた

ある浮浪者が大怪我をして救急に運ばれて来るとても身なりは見窄らしくとてもじゃ無いけど触る気にもなれないレジデンスにドクターはこう言う

この子も誰かの大事な娘さんなんだ!

ノミをうつされないかとそれまでは触ることも躊躇していたレジデンス達はハッとなって怪我の状態や脈や血圧その他の検査に手を急ぎ出す

命にランクは無い
生は平等でなければ絶対にいけない

うちの母はショートステイに預けたその日の深夜から朝方に転けて約5時間半も放置され病院に運んだ時には意識が無かった。
左半身全てを骨折していた。
在宅酸素をしていた母の酸素値は搬入された時わずか74しか無かった(80を下回ると命に危険が及ぶ)
3日後には帰らぬ人となった

私が24時間介護に疲れ切り、少しだけと思って嫌がる母をショートに預けた
在宅酸素をちゃんと診てくれるというメディカル介護付きだという有料施設だ

結果、母を死に追いやった

高齢ではあったけれどとても穏やかで可愛いおばあちゃんだった、いつも私の名を呼び私がそばに居ないと寂しいと泣く、私が幼い頃にはとても厳しくて怖い存在だった。でも12年前から母の大病をキッカケに一緒に暮らすようになりここ3年は何もかも介助が必要になっていた。24時間介護はとても辛かったけど私は母を溺愛していた、母を守ろう、そして最期を穏やかに看取ろうと決めていた。晩年の母は全ての角が取れてとても素直で可愛かった。
けれどあまりの寝不足に精神的に異常を起こしそうになったのでケアマネの勧めで有料の施設にショートステイを頼む決心をした
何度も何度も看護師や社会福祉士、サービス提供責任者や介護福祉士を交えて

なのに......

私が大切に大切に命を削ってまで守りたかった母を一瞬で奪われた

その光景は1年半経っても鮮明に覚えている

back numberの地平線は聴く度に涙が出る
多くの人が同じ想いをしているかもしれない
綺麗な海はいつだって誰かにとっては悲しい海かもしれない、世界では色々な物語があるのだと実感する
いつか素直に水平線を眺めた時に綺麗だと思えるその日が来ることを願って皆んな生きているんだ

日本は100歳寿命が普通になって来た
介護保険も歴史が短い
ほんの少し前に出来た制度だが利用者が異常に増え2030年には確実に介護難民が増えるだろうと言われている
年金受給年齢も引き上げられ高齢になっても労働を強いられることになるのではないか
では働く場所は?賃金は?どこに保障があるのだろう
年金が少ない理由はそれぞれ
現役時代に安い給料で働いていたのか、年金を充分満期まで掛けていなかったのか
厚生労働省のホームページにはさまざまな支援金や助成金のお知らせが載っている
どれも安易にもらえそうな感じがするけれど実際には山のような書類や証明書を提出しなければならない
無条件に収入の少ない人には一律-----円とかもあるみたいだが、ちゃんと皆んな申請しているんだろうか?

増えすぎた高齢者をどう扱って良いのか日本の国は真剣に考えて対策を練っているのだろうか
家族が介護してくれるとは限らない
老老介護の家庭も増えて本当に高齢者が平等に安寧に暮らせる日が送れるのだろうか
介護施設で事故により亡くなっていく高齢者は全国で平均1日4.6人
実際にはもっと多いと思う
崩壊している、しかけている施設も多いのではないか、そう思う
知り合いの人が施設で働いているのだが「ヒヤリハット」なんてまともに書いていたらとんでもない枚数になる、と言っていた

恐怖

介護問題はこれから日本にとって1番の課題になっていくに違いないと思うのですが。

どう思いますか?

母の戒名が書かれた塔婆をお墓の裏に据えられた場所にそっと置いた
雨風にさらされることになるけれど此処に母は居ないのだと自分に言い聞かせる

抱きしめてあげたい
本当は

でもそれすら叶わないことを
改めて知った

霊廟に母の戒名が加わった

その前の年には叔母(母の姉)が、そして翌年には母が、そして去年の秋には母の妹であるもう1人の叔母が相次いでこの世を後にした
1年おきに3姉妹が逝った

私はひとりぼっちになってしまったよ
マミー

姉が居るがもう疎遠になってしまったので交流は無い
家族と呼べる身内は全て天国の住人になった

お墓に着いた時には空は晴れ渡りまるで私が来たことを歓迎してくれているような気持ちになって嬉しい

空に浮かぶ雲に向かって

今日もありがとうね、マミー

お墓参りに来る時はどんなに曇っていても着いたら必ず晴れる
不思議だった

母が亡くなってから初めて毎日の祈りの言葉に

世界平和と見知らぬ人達の安寧を願う事が習慣になった

どうか世界が平和にそして皆んなが安心して毎日を過ごせますようにと

本当に願う

帰りの車中はいつも寂しい

でも私のような立場の人は思いの人はもっといるはず、そう思って現実の生活へ戻る心の準備をする

故人が1番悲しむのは「忘れてしまわれること」なんだそう
だから命日や法要の時には故人の思い出話しをしてあげる事が何よりの供養になるのだそうだ
そう聞いた事がある

今日は何を作ろう、マミーの好きだった大根の煮付けと.....お刺身と....あ、もう生物ダメだったね、じゃあきゅうりの酢の物でもしよっか

大切な人を亡くした痛みは、悲しみはその人でなければ分からない
乗り越え方も色々で個人個人違う

だから

もし

大切な人を亡くした人がそばに居るならそっとしてあげて欲しい
何も言わないで寄り添ってあげて欲しい
普通に接して普通に声をかけてあげて欲しい

間違っても

元気出して
頑張って

なんて言わないで

淡路島に向かう車中にて


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