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大切なもの

考えることを放棄した日、私が私じゃないみたいだった。私には今、やるべきことが沢山あって、思いを馳せたり、思考に浸ったりする時間を削るくらい、1日の全てをそれに捧げるべきだと分かってる。誰のためでもなく、私の望みのため、自分の人生のために。それでも、考えることをやめようとしたら、私には何も無いように思えて、自分がひどく空っぽな気がして、なんだかすごく、ひとりぼっちで寂しかった。沢山写真を見返したり、友人がくれた大切な言葉を読み返しても、救われることはなくて、全部投げ出して、逃げてしまいたくなった。それくらい、思考することは、私にとって大切で、私の根幹で、生きるために必要な事だった。

大切なもの、沢山ある。大好きな友人も、家族も、noteやInstagramで関わってくださる方々も、音楽も、勉強も、大好きな物語も。その全てに関わることが、私にとっての幸せで、愛しいこと。

久しぶりに学校に行った。今は夏休みで、授業は少しの夏期講習以外はないから、しばらく学校に行ってなかったのだけど、文化祭の準備のために登校した。今日は偶然にも、私の大切な親友も、あの人もいた。2人に会えたことがどれだけ幸せだったか、2人はきっと知らないだろうな。

親友に会った時、お互いにすごく驚いて、ずっと会いたかったと伝え合って、色んなことを凝縮して話した。私のメンタルが死んでいた昨日、彼女もそうだったらしくて、そんな日があってもいいと、お互いに認め合えた。私達はやっぱり似ているみたい、似ているけど、同じでは無いから、だからこそ、お互いを大切にできるんだろうね。私の大切な親友、私をいつも救って、そばに居てくれる人、彼女が苦しんでる時は絶対にそばに居ると誓ってる、どんなあなたも好きだから、ずっと大切にしていたいです。

あの人とはクラスが同じだから、一緒に作業をして、沢山話して、一緒に帰ることも出来た。汚れそうな作業を代わりにしてくれようとすることも、必ず道路側を歩いてくれることも、電車の席の角を譲ってくれることも、別れる駅に着いた時に「もうここか、早かったね」と言ってくれたことも、別れる時にまたねと言ってくれることも、全部全部嬉しくて、幸せだった。あと数分で出発する混んでる電車と、その1本後の空いてる電車を選ぶ時、1本後の方を選んでよかった。行きの電車より、ずっと待ち時間は長かったはずなのに、2人で隣に座って話していたらあっという間で、帰り道はずっとその余韻に浸っていた。最初に見かけて、会えた時、マスクの下でにやけてしまうくらい嬉しかったんだよ。

大切な人の大切に仕方、今もずっと模索してる、きっと確固たる答えなんてものはなくて、変化するべきものなのだろうけど、とりあえず、目の前の人の幸せを考えることから始まると思うから、私はとにかく、大切な人の幸せを常に考え続けたいと思う。

夏休みに入る前、私はなんだかとても疲れていて、人に会うのが億劫だったし、夏休みに入ることが嬉しかった。だけど、行かなくなってみたら寂しくて仕方がなくて、それだけ大事な場所だったんだと改めて気づいた。学校は、私にとって嫌いな場所なんかじゃない、大好きな友人や、先生達がいて、笑顔にさせてくれる、大切なもののつまった場所。沢山の人と関わる場所だから、どうしても疲れるものは疲れるし、傷ついたり苦しくなったりすることもあるけど、それよりもずっと愛しいもので溢れてる、すごく大事な場所だった。離れてみないと実感できない幸せもあって当然なのかもしれない、前よりもずっと、愛おしい。

幸せのバッテリーみたいなものがあるとしたら、今日で100%に満たされたような気がする、久しぶりに友人達に会うことが、こんなにも幸せな事だと思わなかった。バッテリーは少しずつ減っていくし、幸せは寂しさも連れてきてしまうことを分かっているから、それが少し怖いけど、立ち止まっては居られないから、この幸福を抱きしめて、明日からも頑張ろう。





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