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コロナ禍

noteを書き始めて以来、日常の合間に書きためている記事が同時進行で3つほどあるけれど、まず日常が一変してしまい書きかけの記事を進める気持ちがなかなか起こらない。

2020年(令和2年)5月10日現在、中国武漢から発生した(とされる)新型コロナウイルス(COVID-19)は全世界で395万4246人の感染確認者数を出し、死者数は27万人を超えてしまった。
ちなみに一度この記事を下書きをしていた4月27日の時点では290万8527人が感染確認者数だったので2週間足らずで100万人以上が新たに感染し、死者数はさらに7万人増えている。
約2週間後に発症することを考えると、まさに4月27日辺りで100万人以上が感染してしまったことになる。

…とか書いてみるもののこの件についてはまだまだデータが不十分だし“専門家”でも言うことが違うので、コロナそのものについても各国の対応云々についても私如きに言えることは正直何もない。
かといって触れずにやり過ごせるような事でもないのが悩ましい。

娘達は2月末の休校発表以来、学校生活がストップしてしまった。
次女の卒業式はなんとか決行出来たものの、最小限に短縮。せめて練習していた最後の合唱はさせてあげたかった。
入学式も出来ずに始まった中学校生活は校舎もクラスメイトの顔も知らないまま、配布された教科書と動画配信・ワークシートでの自主学習。
“みんな同じ”とはいえ可哀想でならない。
長女は高校3年生…。オンライン授業が実施されてはいるものの、頑張っていた部活動もこのまま再開されそうもなくインターハイ中止という追い討ち。
当然その先に大学受験がある。

もちろんこれらの事はこの事態では仕方のないことだと理解してる。
むしろこうじゃなかったらおかしいと思うくらいに理解してる。
けれど、あまりに子供達が不憫でならない。
9月年度始まりの案も出ているようだけど、我が県(市)は今のところ6月から段階を踏んでの学校再開が発表されている。

実は去年だったか一昨年だったか、旦那が娘達にそれぞれ一台ずつswitchとタブレットを買い与えた時は「甘やかし過ぎ!」と思ったのだけれど、今回はそれが功を奏したと言わざるを得ない…
子ども達はどちらかというとインドアなタイプなので、家から出られない事には殆どストレスを感じていないらしい。ネット環境があるこの時代のお陰で嬉々としてスマホ・タブレット・switchと仲良くしているのは有り難い。(と“今は”思う)

経済的には、自営業ではあるけれどほぼ勤めに出ている旦那の給料で生活している状態だったことが功を奏し(?)ノーダメージ…
今回のことで家賃と借金が無いことの有り難みを実感している。
本当に、活動的で仕事が順調だった人ほどダメージを受けてしまっているだろうと思うと、いかに自分が現状維持に徹して生きてきたかが浮き彫りになって、申し訳ない気持ちにすらなる。

そして、こんな事態にもかかわらず出来ることが殆ど何もないというジレンマ。
どこにも出掛けず何もしない時間があると後ろめたく思いながら生きてきたのに、突然
「それでいいんです!」
と言われるとそれはそれで不思議な気持ち。
もちろん、生きているので全く何もしない訳にもいかないけれど…
スーパーに行くことをこんなに怖いと思うようになろうとは。(買い物カゴふたつ分を1人で買って帰るのもなかなか辛い)
帰宅後に外から持ち込んだ物の処置や手洗いに神経質になっている自分に、必要な事だけれど嫌な気持ちにもなる。

色んな立場の人が色んな角度からこのコロナ禍を受け止めている。というか、その“自分以外の視点”を知ることが今一番大事な事だと感じている。
あちこちで様々な議論を見聞きするけれど、感情的にならず多角的に物事を見つめることが出来ない事が温度差を生じ、心に要らない感情を生んでしまうのだなとつくづく思う。

これがいつまで続くのか、或いはウイルスがあって当たり前な状況での経済活動がどのように再開されるようになるのか、あらゆる面で不安は計り知れないけれど、アフターコロナといわれる世界が『もしかしたら今までの世の中よりも合理的・建設的・人道的により良い世界になるかもしれない』という淡い期待を抱きながら、今はただ淡々とこの混沌とした世界をやり過ごすしかないのだろう。

アマビエ描いてみた…
医療従事者とライフラインを支えてくださってる全ての皆さんに感謝を込めて。

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