栗ひろい
昨年末に、ゴルフレッスンを再開した。
結婚の前後はゴルフに夢中になり、会社帰りに同僚や上司とタクシーに乗って外苑のゴルフ練習場に行ったり、有給休暇をとってラウンドしていたけれど、結婚し、母になるとゴルフどころではなくなり、いつの間にか遠ざかっていた。あるあるかな。
20年?25年?もっと?!
それくらいのブランクを経て、再開したゴルフ。
スコアは、びっくりするほど回復しないけれど、
ゴルフ再開して良かったなって思ってる。
長いこと、趣味はなんだろうと自分に問うと、料理だなと思ってきた。
家族で囲む我が家の食事が1番のご馳走と考えているので、どちらかと言えば料理が好きなんだと思う。
それが、1人独立、1人旅立ち、最後にはこの春から娘も就職を機に独立したので、いよいよ、私の食卓には「美味しい!」も「おかわり!」も言ってくれる人は居なくなってしまった。
これが、意外と堪えた。
考えてみたら、家族の「美味しい!」の合いの手は秀逸だったのだ。
存分に「美味しい」「美味しい」を浴びせてくれた。私はちゃんと「ありがとう〜!」って伝えられていたのかな。そのあたりは全く記憶がない。
自分のセンスだけで料理好きのつもりでいたけれど、私を料理好きにさせてくれたのも、作る喜びを教えてくれたのも、家族だったのね。
なんてことでしょう。
大切なことは、あとから気づく事があるんだなあ。
やっと家族のいない生活にも慣れてきた。
寂しい気持ちと、孤独と静かに向き合う気持ちと、メトロノームの針のように行ったり来たり。
人間だもの、揺らぐよね。
そんな時にも、下手くそゴルフに随分と救われた。
うまくいかない、スコアが悪い、どうしてコースでは再現できないの?そんな嬉しくないことがほとんどだったけれど、たまに真っ直ぐ遠くに飛ぶ白いボールは、私を笑顔にしたし、何よりもありがたいのは新しい友との出会いがあった。
意識しないうちに、いつの間にかメトロノームの揺らぎが小さくなっていたみたい。
無理に揺らぎを止める気もなく、気持ちが揺らぐ自分もそのまま受け入れてあげたいな。
秋が深まり、ゴルフ場の景色も次第に変わってきて、足元には、落ち葉やどんぐりが落ちている。
右へ左へと散らばったボールを探しに行くと、カサカサと秋の音がするようになった。
先日はグリーン周りのアプローチショットで、足元に栗が落ちていた。
…栗?!
アプローチショットに集中するべきところなのに、私の気持ちは栗🌰しか目に入ってこない。
待っててね、いま、拾ってあげるからね…と、小さな栗に話しかけつつ、ショットしてゴルフボールはやっとNICE ON!
上達しない理由は、そういうとこだぞ…と、思いつつ、そそくさと栗は私のポケットにIN!
帰宅後、いそいそと一粒だけの栗ご飯を作った。
栗ご飯と言えるのかな?
単にご飯炊く時に、剥いた栗を一粒乗せただけ。
見たこともない、親指の爪の先ほどの小さな栗。
可愛らしい。
初物だったので、お仏壇に備えてから、私が美味しくいただいた。
小さいけれど、ちゃんと栗の味がした。
来年は栗拾いに行ってみたいな。
買えばいいんだろうけれど、カサカサと音をたてながら、栗拾いしてみたいな。
お、来年の話をしている。
鬼に笑ってもらいましょ。
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