新卒2ヶ月で退職した「けど」ではない。「からこそ」。(前編)
こんばんは。江野らンです。今日は生憎の雨でしたね。この時期の雨は寒さがしみますね、、、。
今回は私自身のことについての投稿になります。この話について、
「変に自分語りになるのでは」
「良かった、あるいは、良くなかったの話でまとまらない」
と思っていたのですが、自分の覚悟や決意を決めなければならない「転職活動」が春にかけて続くので、今年のうちに整理したいと思い、書こうと思いました。
「共感していただきたい」「応援してほしい」というそんな高望みの投稿ではございません。ただこうして、覗いて読んでいただいているだけで十分です。ありがとうございます。
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1)私って、意外と努力家だったんだ。
私は高校も、大学も、第一希望に進学でき、
唯一の習い事だったピアノも9年間、
アルバイトもサークルも、途中で辞めることなく人生を歩んでいました。
コツコツ努力するタイプで、「一夜漬け」が苦手。途中で何かを諦めることもできない性格で、そのせいか「継続力」においては自信がある方でした。
時間や期限もしっかり守るタイプで、スケジュール管理もメモも怠らず、自分はあまり思っていないのですが、「真面目」だとよく言われます(結構おしゃべりワヒャヒャお姉さんなんだけどな笑)。
最初のNoteの投稿に書いた通り、「東北地方に貢献したい」という気持ちがあり、卒業した大学を選択しました。研究も「町づくり」。フィールドワークが活発にあることが魅力で進路を選び、サークルを通して「伝統芸能」の担い手の一人にもなりました。
また、文章を書くことも昔から好きで、入学当初も、漠然と「何か書く仕事もしてみたい」「魅力を発信できる人になりたい」と志していました。
ですが、研究を重ねていくうちに「都市開発」にも興味がありました。文化や生活という視点だけではなく、実際の町の形、それの一部となる「建物」にも興味が湧いてきたのです。(ターニングポイント1つ目)
就活は、3年の夏からインターンシップに通い始め、誰よりも努力しました。とにかく準備は早く始めて「焦り」を生まないように、自分のペースを作っていきました。
通ったインターンシップも満遍なく見ていましたが、「建築」を重点的に活動していました(ターニングポイント2つ目)。中には何度も何度も通った会社もありました。本当に製品も仕事も素敵だと思っていました。人事の方にも認識していただけるようになって、とにかく嬉しかった経験も確かにあります。
ただ、通えば、知れば、「努力すれば」。
報われるものだと思っていたのです。
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2)興味はずっと変わらない。形が変わったけども。
実際の面接では、「建築」に関わる会社は全滅しました。
それ以外に受けていた企業にもご縁がなく、ゴールデンウィークになって「どうしよう」が永遠に渦巻く毎日でした。
でも、就活自体を諦める選択肢は無く、不貞腐れることもなく、もう一度自分のことを振り返りました。両親にも相談して、やっと原点にあった「何か書く仕事をしてみたい」「魅力を発信できる人になりたい」という気持ちと再び向き合うことにしました。
まだエントリーできるところは応募して、試験対策が例え短い期間でも諦めずに勉強を重ね、エントリーシートも1つ1つ丁寧に書きました。本当に諦めたくなかった。それだけは絶えずにありました。
しかし、それもご縁がなく、書類を送る以前に「エントリー終了」なっている会社もあり、それもタイミング合わず…。
「ここまでずっと志していたことも、努力していたことも、何が間違いだったんだろう。いや、何も間違っていない。頑張っていたし。でもなんで、結果がついてこなかったんだろう。」
そんなことを考えては泣いてばかりの日もありましたが、諦めが悪い私は「興味ある業界にはいたい」「途中から始めたタイミングもあって周りより知識不足だったのでは」と思い、クリエイターを紹介する人材派遣会社に営業として入社しました。
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3)身体は心より正直。
最初に結論を言いますと、退職理由は「体調不良」です。
その原因は様々でした。求められるスキルも、結果も高く、労働時間も長く、仲良くなった同期も自分が辞める前に5人辞めてしまいました。
自分の体調が思うようにいかなくなってしまった原因にもちろんあげられますが、「会社が悪い」と責めるような話ではありません。
その労働環境の中に加えて、実際の仕事が自分のやりたいこととはかけ離れている現実と、なりたかった職業に実際進んで活躍している人、もしくは進もうとしている人を見ながらの現実が一気に重なってきてしまったのです。
私は「この業界のこと、クリエイティブな仕事を広く知りたい」とちゃんと目的を持って入社しました。それは嘘偽りない事実です。
ただ、その志がキツい現実と向きあう度に
「頑張らなきゃ」
「失敗している場合じゃない、私が悪いんだ」
「もっと努力すべき人間なんだ」
という気持ちが突っ走る一方で、
「何を自分は間違えたんだろう」
「なりたい自分に出会うことは無いかもしれない」
「やりたいことはこれじゃなかった」
という弱さも大きくなり、永遠に「努力すれば」という気持ちで押し潰していました。
それが続き、ある日私はベッドから起きれなくなりました。悲しい出来事がなくても毎日涙が出てきました。極度のプレッシャーから手汗が止まらず、手の皮は剥がれ、肌はボロボロ。熱が出る日も続きました。
でも、もう後には戻ることも、逃げ出すことも、そもそも逃げ出すことが正しいわけじゃない。
やっとの思いで会社に行っていましたが、会議中に何度か倒れることも。
正直、限界がきていました。
大学のサークルも体育会系だったので、体力には自信があったのですが、気持ちよりも身体が先に言うことを聞かなくなってしまいました。
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4)一番自分を責めていたのは、頑張り過ぎている自分だった。
今まで一人で抱え込んでいた気持ちは、誰にも言えませんでした。会社の人にも、両親にも。友人には相談していましたが、友人も社会人1年目なわけで「私が頑張っていないのが悪いんだ」と言う気持ちは払拭できませんでした。
身体の限界がきて、色んな人に打ち明けました。
絶対責められる。
そんなことをずっと思っていましたが、誰一人責めることはありませんでした。自分が志していたことも応援してくれた会社の方もいて、両親も「辞める」と言う選択肢を迷うことなく与えてくれました。
会社のある先輩に言われたことが今でも忘れられずあります。
「入社した時の挨拶で、『何かを諦めたことが一度もありません』って言っていたけども、この会社を辞めるからと言って『諦めた』にカウントされないし、しないでね。頑張って。」
これを聞いて、重荷が1つ取れた感覚がありました。
『これからも、まだ自分、諦めずに進んでいいんだ。』と。
2ヶ月だけではわからなかった「仕事の魅力・やりがい」がまだまだあったかもしれませんが、私はマイナスからだとしても、体調を調えて、歩み出す勇気を出しました。
そして、私は新卒2ヶ月で会社を辞めました。
(後編に続きます)
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