そんなこんなで
仕事やすみました。休んで2日目。
久しぶりにnote見てみたら去年の9月、仕事しんどいしんどい言いながらも頑張っていた自分が書き残した文章があった。よだきぃってやつ。ずっと下書きにしてたの、すっかり忘れてた。
結果、私はいま仕事を休んでいるので、9月の自分に「わし休んだぞー」と伝える意味でも下書きの文章を投稿しました。
休んだら映画みよ、行きたかったカフェいこ、読みたい本よも、なんて色々思っていたはずなのに、実際休んでみたら何もしたくないが勝ってしまった。お手洗いとか、ごはんとか、そういうことのためでしか動かない。動けない。動きたくない。そうやって暖房つけてベッドでごろごろしてたら頭痛くなってきたのでベランダ開けて換気してます。えらい。
こうしていると、このまま消えてしまったらなんて楽だろうと思うのです。
やりたいことは山のようにあったはず。食べたいものだって、みたい映画だって、叶えたい夢だっていっぱいあったはず。でも、「やりたかったなあ」って思いながら、それと同時に「このまま消えてしまいたいなぁ」と思う。
これは死にたいということと同義なのか?と聞かれたら、それは自分でも分からない。でも何もやりたくない今の私にとっては、仮に死ぬという行動をとることも、すこぶる面倒くさいことなのです。だから死にはしないと思う、きっと。今はじんわりと、ゆったりと、何もしないということを、私は味わっているんだなぁと思います。
私はずっと、「ほっといてほしい」んだろうなぁなんて思う。誰からも何も言われず、求めもされず、ただそこに存在しているだけ。そうなりたいのかなあと思う。実際、本当に誰からも興味関心をもたれなくなったら、とても悲しくなるかもしれないから分からないけどね。
ずっと何をするにも身内の目が光っていて、大学では仲間はいたけど味方はいないと思わせるような環境でいたことが「ほっといてほしい」の根幹にあるのかなぁと思う。
分からん分からん。答えはどこにもないことだから、自分なりに「アリ」なものが結論になるんだもんね。考えたい時に考えられるところまで、考えたいだけ考えようと思う。そんな当たり前なことに気付いた。
今日はできる限りエネルギー使わずに、ゆっくりのんびりしまひょ。
頑張っている人が報われる世の中になりますように。みんなの時給が1000円上がりますように。ばいなら
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