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お願い、チョコレート!!〔エッセイ〕

 常に私の心を虜にし続ける食べ物がある。
ふと思い出すというレベルではなく、いつだってそれは私の心の中にいる。
それは、チョコ! チョコレート!

 時にはスウィート、たまにビターと気分によって味を食べわけたりしながら食べている間中がなんか幸せ。
しかもチョコレートの茶色の色はあらゆる物の茶色とはちょっと違う。どこかほんのりと温かみのあるステキな茶色だと思う。そんな食べ物がほかにあるだろうか。

 しかしある日を境に、私はチョコレートが食べられなくなってしまった。
「チョコが頭痛の原因になることもあるんだよ」
 おとなになって、毎日のようにやってくる頭痛の件で受診した病院のお医者さんが
、そう私に告げた。

そういえば昨日チョコ食べたな。
あ、一昨日も。

その前の日はクッキーにチョコレートがかかったやつ。チョコレートのアイスにドーナツ、それにこってりココア……。
出てくる出てくる日々のチョコレート三昧の思い出たち。

 まったく気がついていなかった。毎日なにかしらのチョコレートを食べていた。
まさかと思って試しにチョコレートを食べるのをやめてみたら、うそみたいに頭痛の頻度が減ったではないか!

さあ今一度、実験だ。
いつものようにチョコレートを食してみる。

ああ、おいしい。

一日後……、やっぱり頭が痛い。

そのことを母に伝えると
「えっ、そうなの? チョコが頭痛の原因になるなんて、初めて聞いたよ」
 と半信半疑な様子。
母も私ほどではないが、頭痛持ちなのだ。

 チョコレートの味を知ってしまってから数十年。チョコレートと共に私は生きてきた。私はこの関係を今更どう断ち切ればいいのかわからない。

 私はかけがいのない存在であったチョコレートが食べられなくなってから、ものすごく切ない気持ちになるようになってしまった。
言葉に言い換えるとするならば

“ああ……”

だろうか。煮え切らない思いを込めた、ため息に近い。
少し前まではあれほど心踊った”チョコレート″という軽やかな響きは、今じゃあ、私の上にどすんと重く暗い錘となって落っこちてくる。

 チョコレートを意識して避けるようになってから、私の頭痛の頻度は確実に減った。けれど、チョコレートが食べられない人生は、時に私をやさぐれさせ、人づきあいも悪くさせた。ふつうにおいしくチョコレートが食べられる人を、心の底から羨んだ。

そうか。これは失恋だ。私はチョコレートにフラれたのだ。

もうあまり関わらないようにしよう。
それからというもの、私は、数々の商品がひしめきあうスーパーのチョコレートコーナーを、足早に通り過ぎるようになった。

 困ったことが起きた。
人からのお裾分けでチョコレートを貰うことだ。
その確率は飴を貰う確率の次に多いと思う。
そんな時、チョコレートが食べられない=嫌い。と他の人に思われるのはとっても心外なので、理由を一通り説明することにしていた。
しかし本当はチョコレートを一番愛していることを力説すればするほど、相手にはぽかんとされ、なんて言葉を返したらいいのかわからないような顔をされた。
そばにいられないけれど、遠くから、思い続けています的な、乙女心はもう受け入れがたい時代になってしまったのだろうか。

なんかこのやりとり面倒だぞ。

 かつて職場の先輩が私にチョコをくれようとしたことがあった。一つずつ丁寧にきれいな紙に包まれているちょっとリッチなやつだ。

知ってる! 知ってるよ~! それ、おいしいの!

思わず叫ぶ。もちろん心の中で。
ほくほくした柔らかな、なんの迷いもないような、ほほ笑みをたたえている先輩。
私が喜んで受け取るに違いない。絶対にそう思ってる。

そうだよね。みんな好きだよね。おいしいもんね。

私は先輩の期待を裏切れなかった。チョコレートを貰う。もちろんとびきりのスマイルで。

チョコレートと私の関係が、周りの人々を巻き込みながらマーブル状になって、私の頭の中をぐるぐるまわる。
スプーンで掬ったココアの粉をカップの中のミルクにさらさらとすべらせて、混ぜ始めたときの、あの感じみたいに。

さて、どうしようか。

 おいしいお菓子はチョコだけじゃない!ある日、そう呪文みたいに唱えながら、私はあらゆるスーパーに通った。そして私は悟る。スーパーのお菓子売り場の大半は高確率でチョコレート系のお菓子が占めていた。
いかにチョコレートが世の人に受け入れられている食べ物かを見せつけられた気がする。
別のお菓子を探そうとうろうろしてみるけれど、まあるい顔をしょうゆでてらてら光らせたせんべいをしばらくじっと観察してみるものの、あまり興味が湧いてこない。
別の棚のグミ類を眺めてみる。
噛んでいたら
「グミ、グミ、グミ」口の中でグミが万が一しゃべり出したらと思うと、どうしても気軽に手に取れない。

 それからも悶々とチョコレートについて悩んでいると、ある時友人が″キャロブ チョコレート″というものを私に持って来てくれた。いなごまめという豆科の植物で、その味はチョコレートに似ているのだという。
たしかに、色や形はチョコレートそのものだった。
私は友人からそのお菓子を受け取ると、おそるおそる口に運んだ。

ん? おいしい! 
おいしい、けど、けど、けど、けど……。

どんどん恋しさは募ってゆくばかり。
私はやはりチョコレートが、忘れられない。

 その後、母もチョコレートを食べるのをやめたら頭痛が減ったような気がする報告をよこしてきた。
その時ふと、子供の頃のことを思い出した。
「いいなぁ、コーヒー牛乳が飲めて。味は大好きなのにコーヒー牛乳飲むとお腹壊しちゃうんだ。子どもの時は大丈夫だったのに。おとなになったら好きなだけ飲めると思っていたのに……」
 コーヒー牛乳をごくごく飲む私をすぐそばで、母はよくそんな風に言っていた。
おとなになってから変化した自分の体質のせいで、母も好きな物を諦めていたのだ。

ああ、これって。

母と私の間に、見えないなんたるかを感じた。やっぱり、親子なのだ。

しかしあの時は母に悪いことをした。大好きなコーヒー牛乳が飲めなくなってしまった母の横で、まだ子供だったとはいえ、なんら遠慮することもなく、私はコーヒー牛乳を飲んでいたのだから。

 私は申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
その母は今、キッチンに立って、紅茶を淹れていた。
ポットからカップにこぽこぽこぽとお湯が注がれていく。紅茶のカップが2つ、テーブルに並んだ。

ありがとう、お母さん。こんな無神経な娘の分まで。

母と向かい合って、私もテーブルの席に着く。
「はい、クッキー」
 母は私の前にクッキーの乗ったお皿を置いてくれた。
いたせり尽せりとはこのことだ。
紅茶を一口啜り、身も心も温まったような気持ちでいると、母がそばの戸棚からごそごそとなにかを取り出して来た。

えっ?

私は目を疑った。
母の手にはいくつかのチョコレートの包みが握られていた。
「待って、頭痛予防のためにお母さんもチョコを食べるのやめるんじゃ……」
 私は母の手元からのぞくキラキラしたものから目が離せない。
「あっ、でもね、お母さんの場合そこまでじゃないみたい。だから大丈夫。気にしないで」
 母はほがらかにそう言うと、チョコレートの包みをあけて口の中に放った。

なんということを!!

私は母の顔を穴の開くほど見つめた。今まで生きてきて、これほど真剣に誰かの顔を見入ったことはあっただろうか。
いや、ない。

テーブルの上にはチョコレートが無造作に置かれ、そのきらびやかな赤やピンクや金色の包み紙を前に、私は頭がくらくらした。
母はおいしそうにチョコレートを食べながら、優雅に紅茶を飲んでいる。

なんだか無性にチョコレートが食べたくなってしまった。
板チョコが食べたい。
銀紙を豪快にやぶって、バリバリとかじりつきたい!
チョコレートの魅惑的な香り、芳醇でとろりとした甘さが、今も私の中に漂い続けている。

ええい、もうこうなったら!

お願い、チョコレート!!

私は祈らずにはいられない。

チョコレートの神様、お願いします。
どうか、頭が痛くならないチョコレートを作ってください。

私の思い、届け!


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